東京地裁で全国初の裁判員裁判がはじまる。5日結審、6日に判決。凄い速さ。(哲




2009ソスN8ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0382009

 夏館時計壺本みな遺品

                           松野苑子

の句にぴったりの洋館が近くにある。三鷹市の玉川上水のほとりに建っている旧山本有三邸だ。現在は山本有三記念館として一般公開されていて、たまに出かけてゆく。大正末期の本格的な欧風建築で、晩餐客がくつろぐドローイングルーム(応接間)や、それぞれにデザインされた三つのマントルピース(暖炉)があり、壁やドアにも凝った装飾がほどこされている。どこをとっても、大正ロマンの香りがする。作者も、おそらくこのような館に入ったのだろう。表は焼けるように暑いが、建物に入るとひんやりとしていて心地よい。室内には亡き主人愛用の品が生前のままに展示されている。その一つ一つを見ているうちに、入館前からわかってはいたことだけれど、あらためてそれらが「みな遺品」であることに気づかされるのだ。このことは往時からの時の経過や隔たりを思わせるだけではなく、人間存在のはかなさへと作者の気持ちを連れて行く。あわあわとした虚無感が、館の内部に漂いはじめる。それがまた精神的な涼味にも通じるわけで、句の「夏館」の「夏」の必然性をもたらしている。どうという句でもないように写るかもしれないが、「時計壺本」の質感がつりあう館ならではの抒情性が滲み出た佳句だと思った。『真水』(2009)所収。(清水哲男)


August 0282009

 一人置いて好きな人ゐるビールかな

                           安田畝風

の句をはじめて読んだときには、何をいっているのかよくわかりませんでした。2度目に読んで、ああそうか、「一人置いて」というのは、並んで座っている隣の、その向こうをいっているのだなと気づきました。それならばこれは、ビヤホールの情景を詠っているのです。きらびやかな照明の下、いくつもの騒がしい声が、高い天井を響かせています。テーブルを囲む友人たちの声も、顔をそちらへ持っていかなければ聞こえません。でも、作者にとってそんなことは、たいした問題ではありません。気にかかるのは常に、一人置いて向こう側に座っている人のことのようです。席を決めるときに、隣に座ろうとする勇気はありませんでした。それでも近くに席を取り、隣の人を通じて、間接的に感じられるその人の振る舞いに、心はひどくとらわれています。ビールのジョッキがすすむにつれて、酔いは回り、気持ちはどんどん大きくなってきます。けれど、その人に対する態度だけは、いつまでたっても間接的で、控えめなままなのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 0182009

 虹立つも消ゆるも音を立てずして

                           山口波津女

東京にいますか、虹が出ています、というメールを、先月19日、近くに住む知人が送ってくれた。残念ながらメールチェックできたのはだいぶ経ってからで、空を見る余裕もなく慌ただしく過ごしていたため虹を見ることはできなかったが、大きくてくっきりした虹だったという、残念。虹が立つ時、空からきらきらしたメロディが降ってきたら確かに気づくのになあ、とこの句を読んで思った。でもそうすると、あ、虹・・・という出会いの感動は薄れてしまうかもしれない。ちょうどその時ふと空を見上げた人だけが共有できる虹との時間。ちょっと目を離していると虹は消え、空はいつもの空に戻って日が差している。そういえば、出てから気づく虹、空を見ていたらそこに虹が現れた、というのを見た経験がない。ふっと現れたのを見た、という人がいたが、消えてゆく時のようにだんだん、ではないのだろうか。この夏、色鮮やかな沈黙に出会わないまま、来週はもう秋が立つ。『図説大歳時記 夏』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)




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