「今日も暑くなるぞ」と思う朝が殆どないうちに、ヒグラシが鳴きはじめた。(哲




2009ソスN8ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0282009

 一人置いて好きな人ゐるビールかな

                           安田畝風

の句をはじめて読んだときには、何をいっているのかよくわかりませんでした。2度目に読んで、ああそうか、「一人置いて」というのは、並んで座っている隣の、その向こうをいっているのだなと気づきました。それならばこれは、ビヤホールの情景を詠っているのです。きらびやかな照明の下、いくつもの騒がしい声が、高い天井を響かせています。テーブルを囲む友人たちの声も、顔をそちらへ持っていかなければ聞こえません。でも、作者にとってそんなことは、たいした問題ではありません。気にかかるのは常に、一人置いて向こう側に座っている人のことのようです。席を決めるときに、隣に座ろうとする勇気はありませんでした。それでも近くに席を取り、隣の人を通じて、間接的に感じられるその人の振る舞いに、心はひどくとらわれています。ビールのジョッキがすすむにつれて、酔いは回り、気持ちはどんどん大きくなってきます。けれど、その人に対する態度だけは、いつまでたっても間接的で、控えめなままなのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 0182009

 虹立つも消ゆるも音を立てずして

                           山口波津女

東京にいますか、虹が出ています、というメールを、先月19日、近くに住む知人が送ってくれた。残念ながらメールチェックできたのはだいぶ経ってからで、空を見る余裕もなく慌ただしく過ごしていたため虹を見ることはできなかったが、大きくてくっきりした虹だったという、残念。虹が立つ時、空からきらきらしたメロディが降ってきたら確かに気づくのになあ、とこの句を読んで思った。でもそうすると、あ、虹・・・という出会いの感動は薄れてしまうかもしれない。ちょうどその時ふと空を見上げた人だけが共有できる虹との時間。ちょっと目を離していると虹は消え、空はいつもの空に戻って日が差している。そういえば、出てから気づく虹、空を見ていたらそこに虹が現れた、というのを見た経験がない。ふっと現れたのを見た、という人がいたが、消えてゆく時のようにだんだん、ではないのだろうか。この夏、色鮮やかな沈黙に出会わないまま、来週はもう秋が立つ。『図説大歳時記 夏』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


July 3172009

 残暑とはショートパンツの老人よ

                           星野立子

人にステテコは当たり前だが、ショートパンツとはさすがに客観写生の優等生である。ショートパンツの老人は現在の「花鳥諷詠派」の人たちでは出てこない表現だろう。古い情緒に適合しないからだ。俳句的情緒からいくと老人には着物つまり羅や白地。下着ならステテコや褌と取り合わせる俳人が多い。褌は「たふさぎ」などと古い読みを出してきて俳諧を気取る風潮もある。こんなのはみんな古い風流感の上に乗った陳腐なダンディズムだ。ショートパンツから皺だらけのやつれた肢が出ている。なんともみっともないこの肢こそが残暑の象徴だと作者は言っている。虚子は娘立子の素直さ、屈託の無さを最大限に評価した。意地悪な僕は女性の「育ちの良さ」ポーズや「屈託の無さ」仕種を簡単には信じないが、こんな句を見ると虚子の評価を肯わざるを得ない。『実生』(1957)所収。(今井 聖)




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