2009N8句

August 0182009

 虹立つも消ゆるも音を立てずして

                           山口波津女

東京にいますか、虹が出ています、というメールを、先月19日、近くに住む知人が送ってくれた。残念ながらメールチェックできたのはだいぶ経ってからで、空を見る余裕もなく慌ただしく過ごしていたため虹を見ることはできなかったが、大きくてくっきりした虹だったという、残念。虹が立つ時、空からきらきらしたメロディが降ってきたら確かに気づくのになあ、とこの句を読んで思った。でもそうすると、あ、虹・・・という出会いの感動は薄れてしまうかもしれない。ちょうどその時ふと空を見上げた人だけが共有できる虹との時間。ちょっと目を離していると虹は消え、空はいつもの空に戻って日が差している。そういえば、出てから気づく虹、空を見ていたらそこに虹が現れた、というのを見た経験がない。ふっと現れたのを見た、という人がいたが、消えてゆく時のようにだんだん、ではないのだろうか。この夏、色鮮やかな沈黙に出会わないまま、来週はもう秋が立つ。『図説大歳時記 夏』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


August 0282009

 一人置いて好きな人ゐるビールかな

                           安田畝風

の句をはじめて読んだときには、何をいっているのかよくわかりませんでした。2度目に読んで、ああそうか、「一人置いて」というのは、並んで座っている隣の、その向こうをいっているのだなと気づきました。それならばこれは、ビヤホールの情景を詠っているのです。きらびやかな照明の下、いくつもの騒がしい声が、高い天井を響かせています。テーブルを囲む友人たちの声も、顔をそちらへ持っていかなければ聞こえません。でも、作者にとってそんなことは、たいした問題ではありません。気にかかるのは常に、一人置いて向こう側に座っている人のことのようです。席を決めるときに、隣に座ろうとする勇気はありませんでした。それでも近くに席を取り、隣の人を通じて、間接的に感じられるその人の振る舞いに、心はひどくとらわれています。ビールのジョッキがすすむにつれて、酔いは回り、気持ちはどんどん大きくなってきます。けれど、その人に対する態度だけは、いつまでたっても間接的で、控えめなままなのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 0382009

 夏館時計壺本みな遺品

                           松野苑子

の句にぴったりの洋館が近くにある。三鷹市の玉川上水のほとりに建っている旧山本有三邸だ。現在は山本有三記念館として一般公開されていて、たまに出かけてゆく。大正末期の本格的な欧風建築で、晩餐客がくつろぐドローイングルーム(応接間)や、それぞれにデザインされた三つのマントルピース(暖炉)があり、壁やドアにも凝った装飾がほどこされている。どこをとっても、大正ロマンの香りがする。作者も、おそらくこのような館に入ったのだろう。表は焼けるように暑いが、建物に入るとひんやりとしていて心地よい。室内には亡き主人愛用の品が生前のままに展示されている。その一つ一つを見ているうちに、入館前からわかってはいたことだけれど、あらためてそれらが「みな遺品」であることに気づかされるのだ。このことは往時からの時の経過や隔たりを思わせるだけではなく、人間存在のはかなさへと作者の気持ちを連れて行く。あわあわとした虚無感が、館の内部に漂いはじめる。それがまた精神的な涼味にも通じるわけで、句の「夏館」の「夏」の必然性をもたらしている。どうという句でもないように写るかもしれないが、「時計壺本」の質感がつりあう館ならではの抒情性が滲み出た佳句だと思った。『真水』(2009)所収。(清水哲男)


August 0482009

 蟻を見るみるみる小さくなる大人

                           小枝恵美子

人がしゃがめば子どもの目線になる。それだけで、ぐっと地面が近づいて見えるものだ。蟻を見つめ続けるうちに、みるみる身体が小さくなっていくような掲句は、まるでSF映画のようだが、見方を変えれば、蟻がどんどん大きく見えてくるということでもある。最初、黒い粒の行列にしか見えない姿が、凝視しているうちに、一匹ずつの顎の先に挟んでいるものまではっきりしてくるのだから、だんだんどちらが大きいかなどということがすっかり頭から消えてしまう。画家の熊谷守一は、自宅の庭で熱心に蟻を観察し「地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年もみていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」と書く。東京都豊島区にある美術館となっている旧宅の壁には巨大な蟻が描かれている。彼こそ「みるみる小さくなる大人」だったに違いない。『ベイサイド』(2009)所収。(土肥あき子)


August 0582009

 たつぷりとたゆたふ蚊帳の中たるみ

                           瀧井孝作

や蚊帳は懐かしい風物詩となってしまった。蚊が減ったとはいえ、いないわけではないが、蚊帳を吊るほど悩まされることはなくなった。蚊取線香やアースノーマットなるもので事足りる。よく「蚊の鳴くような声」と言うけれど、蚊の鳴く声ほど嫌なものはない。パチリと叩きつぶすと掌にべっとり血を残すものもいる。部屋の隅っこから何カ所か紐で吊るすと、蚊帳が大きいほどどうしても中ほどにたるみができる。蚊帳の裾を念入りに払って蒲団に入り、見あげるともなくたるみを気にしているうちに、いつか寝入ってしまったものである。小学生の頃には、切れた電球のなかみを抜き、その夜とった蛍を何匹も入れ、封をして蚊帳のたるみの上にころがして、明滅する蛍の灯をしばし楽しんだこともあった。「たつぷりとたゆたふ」という表現に、そこの住人の鷹揚とした性格までがダブって感じられるではないか。昔の蚊帳は厚手だった。代表作「無限抱擁」のこの作家は、柴折という俳号をもち自由律俳句もつくる俳人としても活躍した。『柴折句集』『浮寝鳥』などの句集があり、全句集もある。蚊帳と言えば、草田男に「蚊帳へくる故郷の町の薄あかり」がある。『滝井孝作全句集』(1974)所収。(八木忠栄)


August 0682009

 蛇口ひねれば黙祷といふテレビ

                           渡辺信子

月六日広島へ原爆投下された朝である。八時十五分の投下時間になると広島の平和の鐘とともに「黙祷」と、祈りが捧げられる。死者を悼むとはどういうことなのだろう。戦後生まれの私にとって戦争はおそろしいという感覚以外、子供の世代に伝えるものを持たなかったように思う。テレビを通じて運ばれてくる「黙祷」の声に何を持って和することができるのか。この時期になるたびに思う。原爆投下で家族を失った義母は追悼番組が始まると「見とうない。」と、テレビを切っていたそうだ。ちょうど朝食の後片付けの時間、蛇口をひねったら聞こえてきたテレビの声に作者は手を止めることなく汚れた皿を洗い続けるのかもしれない。その日常の行為に作者の鎮魂がこめられている。昭和二十年三月十日、義母と同年齢の作者も家族を失った。「私の中で生きつづける母、弟、妹、空襲に遭って東京の下町に消えた近隣の人々、戦場に散った人々、その鎮魂をと祈りつつ生きてまいりました。俳句を作る中で言霊をいただいて歩んでこられたことに、感謝しております。」と帯には作者の言葉が書かれている。『冬銀河』(2009)所収。(三宅やよい)


August 0782009

 紙伸ばし水引なほしお中元

                           高浜虚子

まどきのデパート包装のお中元を考えていたものだから、どうして紙は皺になったのか、水引の紐は直さざるを得ない状態になってしまったのかと不思議に思った。運ぶ途中で乱れを生じたと単純に考えればよかった。でも虚子のことだから何かあるなと考えたわけである。これはひょっとしたら人からもらった物を使いまわして誰かに持っていったのかも知れぬ。それなら紙を伸ばし水引をなおす理由があるだろうと。これはきっとそうに違いないと考えて、一晩置いてもう一度この句をみたら、いや、これは単に大切な方にお中元を出すとき失礼のないように整えて出したというだけではないかと思い始めた。つまり日頃の感謝というお中元の本意だ。そう思った途端、自分の想像が恥ずかしくなった。そういう可能性を考えたということは自分の中にそういう気持ちの片鱗があるということだ。ああ、俺はなんてセコイことを考えるんだろうと自己嫌悪に陥ったが、この句、単なる感謝の配慮なら当たり前の季題の本意。どこかで僕の解釈の方が虚子らしいんじゃないかとまだ思っている。『ホトトギス俳句季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)


August 0882009

 一本の白樺に秋立ちにけり

                           広渡敬雄

秋、今朝秋、今日の秋。今年は昨日、八月七日だった。手元の歳時記に、鬼貫の「ひとり言」の抜粋が載っている。「秋立朝は、山のすがた、雲のたたずまひ、木草にわたる風のけしきも、きのふには似ず。心よりおもひなせるにはあらで、おのづから情のうごく所なるべし」。今日から暦の上では秋なんだなあ、と思えばそれに沿うように、なんとなくではあるけれど目の前のものも違って見えてくる、ということか。この句の作者は、白樺の木の幹のわずかなかげりか、木洩れ日のささやきか風音か、そこにほんの一瞬、今日の秋を感じたのだろう。一本、が、一瞬、に通じ、すっとさわやかな風が通りすぎる。今日からは残る暑さというわけだが、東京はいまひとつ真夏らしさを実感できないまま、秋が立ってしまった感がある。異常気象とさかんに言われるが、蝉だけは今日もいやというほど鳴いていて、それが妙に安心。「ライカ」(2009)所収。(今井肖子)


August 0982009

 放課後の暗さ台風来つつあり

                           森田 峠

者は学校の先生でしょうか。教室の見回りに歩いているのかもしれません。あるいは何か、授業をした時の忘れものを取りにもどったのでしょう。「放課後」「暗さ」「台風」の3語が、みごとにつりあって、ひとつの世界を作り出しています。湿度の多い暗闇が、句を満遍なく満たしています。教室の引き戸を開けて中に入り、外を見れば、窓のすぐ近くにまで木が鬱蒼と茂っています。その向こうの空には、濃い色の雲が性急に動いているようです。この句に惹かれるのは、おそらく読者一人一人が、昔の学生時代を思い出すからなのです。昼間の、明るい教室に飛び交っていた友人たちの声や、輝かしいまなざしが、ふっと消えたあとの暗闇。一日の終わりとしての暗闇でもあり、学校を卒業したあとの日々をも示す、暗闇でもあるようです。句はひたすらに、事象をあるがままに描きだします。学生が去ったあとを訪れようとしている遠い台風までにも、やさしく懐かしい思いが寄り添います。『合本 俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


August 1082009

 秋日差普通のひとが通りけり

                           笹尾照子

書きに「左足骨折入院」とある。このところの私は、いささか歩行に困難を覚えるときがある。腰痛と加齢によるものだろう。時々ふらついてしまう。むろん骨折による歩行不能に比べれば、はるかに軽度な障害だけれども、この句にはしみじみと納得できる。いつか歩行不能の人が「人間には歩ける人と歩けない人の二種類ががいる」と言ったのを覚えているが、これまた納得だ。入院してベッドに縛りつけられた作者は、たまたま窓外を通りかかった人を見て、猛烈な羨望の念にとらわれた。どこの誰とも知らないその人は、ただいつものように歩いているだけなのだが、作者にしてみると、そのこと自体が羨ましくて仕方がない。ふだんなら気にもならない「普通の人」が、こんなにも生き生きとまぶしく写るとは……。「普通の人」という普通の言葉が、それこそこんなにも普通ではなく輝いて見える句も珍しいのではないか。作者の手柄は、この「普通の人」の措辞を発見したところにある。当たり前の言葉のようだが、けっしてそうではない。そしてたまたま秋の入院なのだが、秋の日差しには透明感があり、事物の輪郭をくっきりと描き出す。この「普通の人」もくっきりとした輪郭と影を持ちながら歩いていった。それがまた、作者の羨望の念をいやがうえにも掻き立てたのである。『音階』(2009)所収。(清水哲男)


August 1182009

 三人の棲む家晩夏の灯を三つ

                           酒井弘司

人家族が一軒の家のなかで別々の灯を持つことは、個別の夜を過ごしているということだ。父はリビングでナイター、母は風呂場、娘または息子は部屋でパソコン、というところだろうか。掲句は夏の盛りを過ぎた季節のなかで、家族のありようも描いている。いつか清水哲男さんが「家族にも旬のときがある」と書かれたことがあったが、夫婦から子どもが誕生し、にぎやかな笑い声や厳しい叱咤などに囲まれながら親も子も成長していく毎日が旬と呼べる時代なのだろう。いわば、大きなひとつの明かりのなかに集う時代を家族の頂点とするならば、かの家族は旬を過ぎようとするひとコマといえる。分裂していく小さな部屋の明かりは、そこに生活する人間そのものが灯っているようにも見えてくる。それぞれの影を胸に畳みながら、大人同士が生きていくのも、また家族の風景なのである。句集名となった「谷風(こくふう)」は、『詩経国風』から。東から吹く春風、万物を生長させる風の意であるという。『谷風』(2009)所収。(土肥あき子)


August 1282009

 群集の顎吊り上げし花火かな

                           仲畑貴志

の夜を彩って、日本各地であげられていた花火も一段落といった時季。これまでの幾歳月、じつに多くの土地でさまざまな花火を見てきた。闇が深くなる花火会場に押し寄せてくるあの大群集は、異様と言えば異様な光景である。花火があがるたびに、飽きもせずひたすら夜空を見あげる顔顔顔顔。その視線や歓声ではなく、掲出句ではあがる花火につり上げられるがごとき人々の顎に、フォーカスしている。そこにこの句のユニークな味わいがある。視点を少々ずらした発見。たわいもなく顎を吊り上げられてしまうかのような群集の様子は、ユーモラスでさえある。花火があがるたびに、夜空へいっせいに吊り上げられてゆく顎顎顎顎。老若男女それぞれの顎顎顎顎。絵師・写楽なら、表情のアップをどのような絵に描いてくれただろうか、と妄想してみたくなる。張子の玉が勢いよく夜空へ上昇して行くにしたがって、群集の顎たちも同時に吊り上げられて行き、空中で開いたり、しだれたりするさまを、目ではなく顎そのものでとらえているのである。コピーライターである貴志には「日向ぼこ神に抱かれているごとく」という句もある。『角川春樹句会手帖』(2009)所載。(八木忠栄)


August 1382009

 朝顔の顔でふりむくブルドッグ

                           こしのゆみこ

初に読んだとき心にどんときて、それでいてその良さを説明しがたい句というのがあるけど、この句もそうだ。朝顔と顔のリフレインが軽快だけど、「朝顔の」でいったん小休止を置いて読んだ。チワワやプードルのように軽快な動きができずに、大きな顔でぐいっと身体ごと振り向く動作の重いブルドッグと爽やかにひらく朝顔は質感といい、形といいなんら繋がりはない。にもかかわらず「顔」で響き合うこの取り合わせはどこかおかしい。いかめしいブルドッグの顔のまわりにひらひらフリルがついて大きな朝顔になってしまいそうだ。ブルドッグもこのごろは小型化してフレンチブルドッグを連れている人はよく見るけれど、頬が垂れて足の短い大型のブルドッグはほとんど見かけない。ダックスフンドといいコリーといい家のサイズに合わせて小型化する時代なのだろうか。そのむかし、ブルドッグは追っかけられると怖い犬の代名詞だったように思う。そう言えば、ポパイの天敵ブルートもごついブルドッグを連れていたっけ。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


August 1482009

 見られゐて種出しにくき西瓜かな

                           稲畑汀子

かるなあ。西瓜にかぶりついて、ぺっぺと口から種を吐く人。なんとなくあれが西瓜を食べる作法かと思っているが、どうにもそれがうまくできない。技術的に無理なのだが、その風情にもなじめない。フォークで種をほじって出してからかぶりつくが、どうも見た目が悪いし、かぶりついた中にまだ種が残っているとそれはそれで口から吐かねばならない。これもみっともない。先日中国人の友達に、食事中になんでも床に捨てる中国式のマナーにクレームをつけたら、日本人は蕎麦を食うときどうしてあんなに汚い音を平気で立てるのかと逆襲された。食の作法もさまざまである。花鳥諷詠は、作者の「私」が作品に現れないことが多い。また現れないことをもってしてよしとする傾向にあるが、この句は「私」がちゃんと出ている。『ホトトギス季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)


August 1582009

 人棲まぬ島にもみ霊敗戦忌

                           松本泊舟

日という日もこの句も、言わずもがな、だろう。棲、という文字が語る、太平洋上の名もない島に眠る戦没者への鎮魂の心は、戦争を体感していない者にも伝わってくる。季題として考える時、終戦の日か敗戦の日か、戦争体験世代の意見はさまざまのようだ。だいたい終戦記念日というのはおかしいのでは、いや後世まで忘れない、という意味で記念なのだからいいのだ等も。この句の場合、敗戦忌。終戦忌、敗戦忌は俳人による造語、というが、掲出句は『文学忌俳句歳時記 大野雑草子編』(2007・博友社)に載っていた。文人の忌日をまとめた歳時記なのだが、そこに、個人の忌日に混ざって、原爆忌(広島忌)、長崎忌(浦上忌)、終戦記念日(終戦忌・敗戦忌)が立てられている。数々の個人の忌日同様、忘れることなく詠み継いでいって欲しい、という編者の祈りにも似た願いが感じられる。(今井肖子)


August 1682009

 肩が凝るほど澄みきつている空だ

                           青木澄江

が凝るという表現が、秋の空を表すのに適しているかどうかについては、人によって考え方も違うでしょう。ただ、空が高くから下りてきて、目の中をいっぱいにする様子は、容易に想像できます。あふれるほどの空は、まぶたから外へこぼれることなく、視神経を通過して人の奥へ入り込んでゆきます。この視神経の疲れが、目と、肩こりを結びつけているのだと、一応理屈は付けられますが、そんなことはどうでもよいでしょう。むしろ、肩が凝るほどに澄んだ空を見つめ続けるこの人に、いったい何があったのかと、つい想像してしまうのです。思えば文学作品で読む空のほうが、現実で見上げる空よりも、実際は多いのかもしれません。鳥が飛んでいなければ、空のことはもっと分かりづらかった、という詩が、そういえばありました。具体的な出来事はわからないけれども、なんにもないものをひたすら見つめていたい心持は、だれだって理解できます。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 1782009

 ジャンケンの無口な石が夕焼ける

                           西本 愛

焼けの情感を描いて、革新的な句だ。大正期の有名な童謡に「ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む ぎんぎんぎらぎら 日が沈む」ではじまる「夕日」(葛原しげる作詞)がある。この歌を紹介する絵本などの絵の構図は、例外なく大夕焼けをバックにして遊ぶ子供たちの小さなシルエットが浮かんでいるというものである。歌詞の内容がそうなのだから、そのように描いてあるとも言えるのだけれど、この構図が示しているのは、もっと深いところで私たち日本人の美意識につながっているそれなのだと思う。大自然の前の点景としての人間は、自然の永遠性と人間存在のはかなさを物語っているのであり、この構図を受け入れるときに、束の間にせよ、私たちの情感は安定する。島崎藤村ではないが、「この命なにをあくせく」と、自然に拝跪する心が生まれてくる。掲句を革新的と言うのは、句がそのような予定調和的な情緒安定感を意識的に破ろうとしているからだ。子供らのシルエットをぐいっと精度の高い望遠レンズでたぐり寄せたような構図が、作者の従来の情緒に落ちない意思を明示している。ここで昔ながらの美の遠近法はいわば逆転しているわけで、人間中心の美意識が芽生えている。と、ここまではひとつの理屈にすぎないけれど、たかが「ジャンケンの石」に夕焼けを反映させてみせただけで、いままでには無かった夕焼けの情感が生まれていることに、私は覚醒させられたのだった。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 1882009

 台風の目の中にあるプリンかな

                           蔵前幸子

象情報などで日本列島を鳥瞰する映像を見ると、なるほど台風の目とはよく言ったもの、という具合のつぶらな中心がある。災害であるから、つぶらなどという言葉は適切ではないが、「大型で強い」「超大型で非常に強い」などの形容にも、台風に対してまるで命あるもののように思わせる力がある。台風の踏み荒らす進路がこういくか、はたまたああいくかと、地図上の経路線は入り組み、しかし渦巻きは、いかに気象衛星を飛ばそうが、科学が発達しようが百年前とまるで変わらない気ままさで動き回る。予想図があるために天災でありながら、地震や噴火などの畏怖とは若干異なり、大きくて荒っぽい神さまのお通りのように思えるのかもしれない。現代では雨戸を打ち付けたり、蝋燭の準備をしたりすることもなくなったが、あの「いよいよ来る」というハラハラと高ぶる気持ちは忘れがたい。台風の目の中は、もうしばらくしたら必ずまた来訪される「ひとつ目」の神さまのご機嫌を予感しながらの、束の間の平安である。ふるふると震えるプリンのてっぺんに乗るカラメルの茶色が、怖れず天を睨み返す目玉のように見えてくる。『さっちゃん』(2009)所収。(土肥あき子)


August 1982009

 古書店の影さまざまに秋めきぬ

                           佐藤和歌子

の上ではもう秋だとは言え、まだまだ残暑は厳しい。しかし、何かの拍子にひょっとして、それとなく秋の気配がしっかり感じられることがある。「春めく」にしても「秋めく」にしても、じつに曖昧で主観的な感性が日本独特の季節感を表現し、古典詩歌を繊細に豊かにしてきたと言える。掲出句が出された句会では「古書店の影って曖昧ですよ」という声もあがったようだが、私に言わせれば、「古書店」だからこそ「影さまざま」が生きていると思われる。古書店というものには、それぞれの店構えもさることながら、古書店内独特の匂いやさまざまな書物の気配などがあって、みな個性をにじませている。いや、独自性を毅然と誇示しているようにさえ感じられる。神保町の古書店街あたりだろうか。秋の弱い日差しや秋風を受けはじめた店がもつ影にも、それぞれ別々のニュアンスが感じられるのも秋なればこそ。「影」こそがこの句のポイントである。直接的には建物としての店の影であろうが、形而上的な意味合いも十分に含まれていると読みたい。作者は同じ兼題で「秋めくや母はルージュを濃くしたり」という、女性らしいモチベーションをもった句も同時に作っている。『角川春樹句会手帖』(2009)所載。(八木忠栄)


August 2082009

 かはほりのうねうね使ふ夜空かな

                           岩淵喜代子

い頃、暗くなりはじめた屋根の周辺にこうもりはどこからともなく現れた。こうもりの羽根の被膜は背中と脇腹の皮膚の延長で、長く伸びた指を覆うようにして翼となったそうだ。肘を少し曲げたねずみが両手をぱたぱたさせて空を飛んでいるようなもので、鳥のように直線的な飛び方でなく「うねうね」という形容がぴったりだ。夜空を浮き沈みするように飛んでいるこうもりを生け捕りにしようと兄は丸めた新聞の片端に紐をつけこうもりめがけて飛ばしていたが、子供の投げる新聞玉が命中するわけもなくあたりは暮れてゆくばかりであった。深い軒や屋根裏や、瓦の隙間に住んでいたこうもりは住み家がなくなってしまったのか。長い間こうもりを見ていないように思う。夜空をうねうね使いながらこうもりは何処へ飛んで行ったのだろう。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(三宅やよい)


August 2182009

 鰯雲「馬鹿」も畑の餉に居たり

                           飯田龍太

でいう知的障害の人を地域がごく自然なあり方で支え共に生きていく。長い間、田舎で暮らした僕には思い当たる風景はいくつもある。畑の餉は昼餉のことだろう。老いも若きも赤ん坊も誰も彼もみんな大地の上で昼餉をとっている。ここにも飯田龍太という俳人のあるがままの肯定すなわち無名の肯定が生きている。馬鹿という言葉はすぐ喩えにとぶ。そうならぬように作者はかぎ括弧でくくった。言葉のイメージが広がって独り歩きせぬように意味を閉じ込めたのだ。『百戸の谿』(1954)所収。(今井 聖)


August 2282009

 裂ける音すこし混じりて西瓜切る

                           齋藤朝比古

つかしい音がする句。今は、大きい西瓜を囲んで、さあ切るよ、ということもほとんどなくなった。母が無類の西瓜好きなので、子供の頃は夏休み中ずっと西瓜を食べていた気がする。西瓜を切った時、この裂ける音の微妙な混ざり具合で、熟れ具合がわかる。まさに、すこし裂ける音も混じりながら、包丁の手応えがある程度しっかりあると、みずみずしくて美味しい。逆に、手応え少なく裂けるものは、ちょっとアワアワになっていて残念なのだった。忘れかけていた感触を思い出しながら、西瓜が食べたくなる。この句は、美味しそうな句が並ぶ「クヒシンバウ」と題された連作中の一句。その中に〈鰻屋の階段軋む涼しさよ〉という句があり惹かれていた。涼しは夏季だが、使いやすいので私もつい安易に使ってしまう。先日参加した吟行句会でも、涼風に始まって、汗涼し、露涼し、会涼し、そして笑顔まで涼し。しかし、涼し、は本来暑さの中にふと感じるもの。炎天下、鰻屋に入りふうと一息、黒光りする階段をのぼりつつ、こんな風に感じるものだろうなと。それにしても、これまた鰻のいい匂いがしてきて食べたくなるのだった。「俳句 唐変木」(2008年4号)所載。(今井肖子)


August 2382009

 あかえひの尾になる町は鶉かな

                           水間沾徳

かえひは、魚へんに噴の口のない字を書きますが、あいにくここでは表示できません。エイというのですから、扁平、幅広、菱形の、あの独特な形をした魚なのでしょう。その姿を見るにつけ、生き物というのはよくもまあ、可能な限りいろんな形になったものかなと、自分の形を棚に上げて、思いもするわけです。この句に惹かれたのは、「尾になる町」のところでした。『日本名句集成』には、「エイの尾のような町外れになると、深草が繁茂して鶉(うづら)が鳴く」という解説があります。では、「エイの尾のような」というのはどのようなものかと読んでゆくと、「一本道しかない郊外のこと」とあります。つまり郊外の小さな道の、ひなびた様子を、鶉の鳴き声とともに感慨深く詠っているのです。なるほどエイの尾というのは、鞭のように長く一本伸びているのだなと、形状は理解するものの、あれを郊外の一本道に例える想像力に、江戸期の俳人の、今とは違った発想の仕方に驚かされます。とはいうものの、自然の生き物が今よりも身近にうごめいていた当時にあっては、この比喩はそれほどの驚きではなかったのかもしれません。時とともに、句の読まれ方は変わってゆくのは当然のことですが、まさか沾徳(せんとく)も、自分の句が将来PCで、こんな解説が書かれるようになるとは思ってもいなかったでしょう。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


August 2482009

 惜しい惜しい惜しい惜しいと法師蝉

                           北 登猛

るほど、法師蝉の鳴き声はそんなふうにも聞こえる。最後は「惜しいよおっ」と駄目押しするようにして飛び去ってゆく。何がそんなに惜しいのか。作者ならずとも、だれにだって「惜しい」ことがらの一つや二つはあるのだから、それぞれの「惜しい」思いで聞くことになる。このように虫や鳥の鳴き声を人間の言葉のように聞くことを「聞きなし」と言うが、有名な例ではウグイスの鳴き声を「法華経」、ホトトギスのそれを「特許許可局」「テッペンカケタカ」などがある。Wikipediaによれば、この「聞きなし」という用語を初めて用いたのは、鳥類研究家の川口孫治郎の著書『飛騨の鳥』(1921年)と『続 飛騨の鳥』(1922年)とされているそうだ。そんなに昔のことじゃない。なかなかにオツなネーミングだと思う。句に戻れば、「惜しい」が四度も繰り返されており、このしつこさがまた残暑厳しき折りの風情を伝えていて秀抜である。今日もまた各地で「惜しい」の連発が聞こえるだろう。あと一週間経って、選挙後に身に沁みて聞きなす候補者もいるだろう。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 2582009

 抱きしめて浮輪の空気抜きにけり

                           山下由理子

休みもそろそろ数えるほどになってきた。小学生時代は、夏休みの間中、子ども部屋の隅にふくらんだままの浮き輪が転がっていたように覚えている。あるいは、使用する都度ふくらまし、遊び終わったら空気を抜き出し入れする几帳面な家庭もあったかと思うが、プールや川に行こうと呼ばれれば、すぐに浮き輪を腰に装着して駆けて行ったのだから、わが家はかなり野放図派であったようだ。ひと夏、息を足しながら使う浮き輪の空気を完全に抜くときは、夏休みの宿題に迫られたこの時期。今年もそろそろ座敷の隅で夏休みを越した浮輪が目障りになってくる頃だろう。ひとたび栓を解き、抱きしめればひと夏の空気が勢いよく噴出し、次第にくたりとなった浮き輪をさらに二つ折りにしたり四つ折りにしたりと、楽しい思い出を畳み込むようにしてぺちゃんこにしていく。安定しない陽気が続き、今年はあまり活躍の場のなかった浮き輪かもしれないが、来年の楽しい夏までしばらくのお別れである。やけに広々と感じられる子ども部屋に、秋の気配が入り込む。『野の花』(2007)所収。(土肥あき子)


August 2682009

 髪を梳く鏡の中の秋となる

                           入船亭扇橋

を梳いている人物は女性であろう。男性である可能性もなくはないが、それでは面白くもおかしくもない。女性でありたい。外はもう秋なのだろうけれど、鏡に見入りながら髪を梳く女性が、今さらのように鏡の中に秋の気配を発見してハッとている驚きがある。いや、鏡の前で乱れた髪を梳いている女性を、後方からそっと覗いている男性が、鏡の中に秋を発見してハッとしているのかもしれない。そのほうが句に色っぽさが加わる。「となる」が動きと驚きを表現している。他にも類想がありそうな設定だが、いつも飄々とした中にうっすらとした色気が漂う高座の扇橋の句として、味わい深いものがある。この人の俳句のキャリアについてはくり返すまでもない。曰く「言いたいことが山ほどあっても、こらえて、こらえて詠む。いわば、我慢の文学。これが俳句の魅力」と語る。この言葉は落語にも通じるように思われる。落語も言いたいことをパアパアしゃべくって、ただ笑いを取ればいいというものではない。「手を揃へ初夏よそほひし若女将」の句もある。扇橋の高座では特に「茄子娘」「弥次郎」などは、何回聴いても飽きることがない。扇橋が当初から宗匠をつとめ、面々が毎月マジメに俳句と戯れる「東京やなぎ句会」は、今年一月になんと四十周年を迎えた。『五・七・五』(2009)所載。(八木忠栄)


August 2782009

 おはようの野菊おかえりの野菊

                           三好万美

七五の定型からは少しはずれる形。八音、八音で対句の構造を持ち、間に時間的空白を挟み込んでいる。朝出かける時、空き地に咲いている野菊に声をかけて出勤する。そして夕方帰るときには同じ野菊に迎えられ、家路をたどる。野菊のリフレインに「おはよう」と「おかえり」の言葉が爽やかに使われていて、日常の何気ない挨拶と飾り気のない野菊の立ち姿が家族のように近しく感じられる。一口に野菊といっても図鑑を見れば沢山種類があるようだ。伊藤左千夫の「野菊の墓」に出てくるのは「ノジギク」のように日本産の可憐なものだろうけど、アメリカ産のアレチノギクのなどは1メートルに及ぶ背丈に鋸状の葉と猛々しい姿をしている。掲句の野菊はうっそうと生い茂った雑草にまじって目立たずに咲いているイメージ。控え目な花のたたずまいがすがすがしい秋の訪れを感じさせる。『満ち潮』(2009)所収。(三宅やよい)


August 2882009

 子馬が街を走つていたよ夜明けのこと

                           金子兜太

由ということを思った。権力からの自由、反権力からの自由、季語からの、定型からの自由、あらゆる既成のものからの自由。好奇心と走る本能に衝き動かされて夜明けの都市を子馬は歓喜して走る。仔ではなくて子。いたよの「よ」。夜明けのことの「こと」。どれもが素朴荒削りなつくりで、繊細すぎる言葉の配慮を超えたエネルギーが溢れる。子馬が季語か否かなどは要らざる詮索。『日常』(2009)所収。(今井 聖)


August 2982009

 噴火口近くて霧が霧雨が

                           藤後左右

棚で見つけた手作り風の本。開くと「句俳勝名新本日」。日本新名勝俳句にまつわる話はなんとなく聞いていた。投票で選ばれた、日本新名勝百三十三景を詠んだ俳句を募集したところ、全国から十万句を越える応募があり、それを虚子が一人で選をした、という。選がホトトギスに偏っていることが問題視されることも多いが、全国規模の大吟行。あちこちの山、川、滝、海岸、渓谷に通っては句作する、当時の俳句愛好家の姿を思い浮かべると、なんだか親しみを感じる。昭和五年のことである。掲出句は、阿蘇山を詠んだ一句で、帝國風景院賞なる、ものものしい賞を受けている。久女、秋桜子、夜半等の代表句が並ぶ中、ひときわ新鮮な左右の句。今そこにある山霧の、濃く薄く流れる様がはっきりと見える。霧が霧雨が、とたたみかけるような叙し方も、近くて、がどうつながっているのか曖昧なところも、当時の句としてはめずらしかっただろうし、句の息づかいは今も褪せない。左右についてあれこれ見ているうち、〈新樹並びなさい写真撮りますよ〉の句を得た時「蟻地獄から這い上がったような気がした」と述べているのを読んで、ここにも独自の俳句を模索する一本の俳句道があるのを感じた。「日本新名勝俳句」(1931・大阪毎日新聞社/東京日日新聞社)所載。(今井肖子)


August 3082009

 ひやひやと壁をふまへて昼寝かな

                           松尾芭蕉

寝は夏の季語ですが、ひやひやは秋の季語。まあ、夏の終わりの頃と解釈すれば、両方の顔がたつのでしょう。ひやひやは言うまでもなく、足の裏が壁に接したときのつめたい感覚です。漆喰の壁なのか、土壁なのか、どちらにしても材料はもともと大地にあったものです。それをわざわざ立たせて壁にしたわけです。その立たせたものに、今度は人のほうが寝そべって足裏をつけて、ふまえているというのですから、奇妙なことをしているものです。昼寝なのだから、出来うる限り心地のいい姿勢をとりたいと思うのは当然であり、夏の終わりの、まだ蒸し暑い部屋の空気に汗をにじませながら、せめて足裏なりとも、冷たいものに触れていたいと思ったのでしょう。ひんやりとした感覚を想像すれば、なんだか心地よく眠ってしまいたくなるようなけだるさを感じます。ちなみにわたしは今、会社の昼休みにこれを書いていますが、さきほど食べたサンドイッチが胃のあたりに下りてきて、ひどく眠くなってきました。壁ならぬ机の脚でもふまえて、午後の業務までつかの間の昼寝なぞを。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


August 3182009

 ひらがなの国に帰りて夕芒

                           佐藤清美

集でこの句の前に置かれた「西安のビールは甘きひつじみず」などから推して、中国旅行から戻ったときの句だと思われる。私のささやかな海外旅行体験からすると、どこの国に出かけても言葉には難渋するが、いままでいちばんストレスを覚えたのは中国と韓国でだった。理由は単純。お互いなんとなく顔が似ているせいで、つい楽にコミュニケーションができそうに錯覚してしまうからである。ましてや中国は漢字の国だ。街の看板やイルミネーションなどでも、おおかた察しのつくものが多い。だから余計にコミュニケートしやすいと思いがちになる。ところが、どっこい。他の外国でと同じように、なかなか意思疎通ができないので、イライラばかりが募ってしまう。三十数年昔にギリシャに行ったことがあって、街のサインなど一文字も読めなくて苦労したけれど、しかしさほどストレスは覚えなかった。はじめから周囲の人々がまったくの異人種なので、言葉が通じなくても当たり前と早々に覚悟が決まってしまうからだろう。作者も漢字の国を旅行中に、おそらく相当のストレスを感じ続けていたのではあるまいか。そのストレスが「ひらがなの国」に戻ってほどけた安堵の心が、よくにじみ出ている。風にそよぐ「夕芒」のたおやかな風姿は、まさに「ひらがな」そのものなのである。『月磨きの少年』(2009)所収。(清水哲男)




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