北朝鮮が国民に鉄の供出を呼びかけているそうだ。かつての日本そっくり。(哲




2009ソスN7ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2472009

 投票の帰りの見切苺買ふ

                           岸田稚魚

切苺は言葉の発見。この発見で一句の核は決まる。あとは演出だ。誰かが見切苺をどうするのか。あるいは見切苺自体がどうにかなるのか。主客を決め、場面を設定する。投票を用いたために、見切苺は社会的な寓意を持つに至る。熟し過ぎたかすでに腐敗も始まっているか。結局は食えずに無駄になるかもしれないけれど、それでも俺はあの候補に投票したぞという喩が生じるのである。寓意は最初から意図されると、実るほど頭を垂れる稲穂かなのように実際の稲穂の描写とは離れてまったくの箴言、標語のようになる。この句、庶民の生活の一コマを描写したあとで、じわっと寓意を感じる。その「間」が大切。『負け犬』(1957)所収。(今井 聖)


July 2372009

 ベルリンの壁の破片や夏期講座

                           中村鈴子

が小さい頃、ベルリンの壁は冷然と存在していた。家族に会うために壁を越えようと逮捕された話、銃殺された話。壁一枚で祖国分断される理不尽さを社会の授業で何度か聞かされた。ベトナム、朝鮮、ドイツ、第二次大戦から冷戦にいたる分断の構造が続いていた時代、ソ連や東欧諸国がいまのような枠組みになるとは誰も考えていなかっただろう。ベルリンの壁が壊される映像は感動的で新しい時代が来る予感の高まりに誰もが興奮したに違いない。それから20年。すでにベルリンの壁の破片は歴史的遺物になり夏期講座の机の端に置かれている。東西冷戦構造の説明のあと、先生は壁の破片を持ち上げて言うのだろう。「これがベルリンの壁の一部です」受講する生徒たちにとってその破片から当時の世界を想像できるか、夏期講座を受けている今の現実につなげることができるか。あとは生徒たちの想像力次第ということだろう。『ベルリンの壁』(2005)所収。(三宅やよい)


July 2272009

 蝶白く生れて瀑の夜明けかな

                           八十島 稔

(たき)は滝で夏。滝も地形それぞれによってさまざまな形状がある。掲出句の滝は「華厳瀑にて」という詞書があるから、ドードーと長々しくダイナミックに落ちる日光・中禅寺湖から落ちる滝である。私は夜明けの滝をつぶさに見た経験はないけれど、白い帯になって落ちつづける滝のしぶきから、あたかも白い蝶が次々に生まれ出てくるような勢いが感じられるのであろう。あたりを払うようなダイナミズムだけでなく、蝶を登場させたことで可憐な清潔感が強く表現されている。稔は岩佐東一郎や北園克衛らとともに、戦前に俳句を盛んに作っていた詩人の一人であり、句集『柘榴』を「風流陣文学叢書」の一冊として刊行している。同じ華厳滝を詠んだ句「わが胸を二つに断ちて華厳落つ」(福田蓼汀)には、対照的な豪快な調べがあるけれど、掲出句は静けささえ感じさせるきれいな夜明けである。私事になるが、日光の華厳滝はもう二十数年以上見ていない。真冬のそれを見たときには、別な凄まじさで圧倒された。滝の句では、他に中原道夫の「瀧壷に瀧活けてある眺めかな」に悠揚迫らぬ味わいがあって忘れがたい。『柘榴』(1939)所収。(八木忠栄)




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