働けど貧困。この現実をどう打開するのか。お家騒動なんてどうでもよい。(哲




2009ソスN7ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1772009

 客揃ひ団扇二本の余りけり

                           高田風人子

人客が来たかがわからないから団扇を何本用意しておいたのかもわからない。とにかく二本余ったのだ。「揃ひ」は予定通り客が全員来たということ。つまり、迎える側は客の数はわかっているのにそれに合わせて団扇を準備せず、いい加減に揃えて置いた。この句の眼目はそこにある。団扇というものは、まあ、いい加減にざっと用意しておく程度のもの。そう言われてみるとそんな感じもしてくる。団扇の数引く客の数イコール二という連立方程式の片方のような「数の不思議」を見せつつ団扇というものの本意を描く技の句だ。『ホトトギス俳句季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)


July 1672009

 明易し小樽に船の名を読んで

                           ふけとしこ

樽駅の改札を抜けると広い坂下に青い海と港が見える。小樽はこじんまりしてどこか懐かしい雰囲気を持った街。伊藤整、小林多喜二、左川ちか、この地に育った文学者も多い。未知の土地を訪れ早く目覚めた朝、宿のまわりを散策するのは旅の楽しみの一つだ。夏暁のひやりとした空気の中をまだ人気のない運河沿いを歩いているのだろう。つれづれに停泊した船の横腹に書かれた名前を拾い読む。句を読み下せば「読んで」は「呼んで」にも通じ、船の名を読むと同時に呼び掛けているようなあたたかさを感じる。船の赤い喫水線に寄せては返す波、そしてかもめの声。船を起点として朝日にきらめく港の風景がよみがえってくる。いま時分の北海道はいちばん良い季節。夏の小樽のすがすがしい空気まで感じられるようだ。『インコに肩を』(2009)所収。(三宅やよい)


July 1572009

 炎天や裏町通る薬売

                           寺田寅彦

句に限らない、「炎天」という文字を目にしただけでも、暑さが苦手な人はたちまち顔を歪めてしまうだろう。梅雨が明けてからの本格的な夏の、あのカンカン照りはたまったものではない。商売とはいえ暑さに負けじと行商してあるく薬売りも、さすがに炎天では、自然に足が日当りの少ない裏町のほうへ向いてしまう。そこには涼しい風が、日陰をぬって多少なりとも走っているかもしれないが、商売に適した道筋ではあるまい。炎天下では商売も二の次ぎにならざるを得ないか。寅彦らしい着眼である。行商してあるく薬売りは、江戸の中期から始まったと言われている。私などが子どものころに経験したのは、家庭に薬箱ごと預けておいて年に一回か二回やってくる富山の薬売りだった。子どもには薬よりも、おみやげにくれる紙風船のほうが楽しみだった。温暖化によって炎天は激化しているが、「裏町」も「薬売」も大きく様変わりしているご時世である。炎天と言えば橋本多佳子の句「炎天の梯子昏きにかつぎ入る」も忘れがたい。『俳句と地球物理学』(1997)所収。(八木忠栄)




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