都議選ポスター掲示板があちこちに。暑いのに、また騒々しくなりますなあ。(哲




2009ソスN6ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2762009

 雨傘に入れて剪る供花濃紫陽花

                           笹川菊子

年の紫陽花は色濃い気がしませんか、と幾度か話題になる。東京は梅雨らしい天気が続いているのでそう思うのかもしれないが、確かに濃い青紫の紫陽花の毬が目をひく。本棚の整理をしながら読んでいた句集にあったこの句、雨傘、に目がとまった。雨は雨粒、傘は水脈を表し、共に象形文字だというが、見るからに濡れてるなあ、そういえばこの頃あまり使わない言葉だけど、と。庭を見ながら、紫陽花を今日の供花にと決めた時から、その供花に心を通わせている作者。その心情が、雨傘に入れる、という表現になったのだろう。もう濡れてしまっているけれど、だからこそ滴る紫陽花の色である。作者の甥の上野やすお氏がまとめられたこの句集には、星野立子一周忌特集の俳誌『玉藻』(昭和六十年・三月号)に掲載された文章が収められている。朝日俳壇選者であった立子の秘書として、立子と、同時期に選者であった中村草田男、石田波郷との和やかな会話など書かれている興味深い文章の最後は、「お三人の先生は、もうこの世には在さないのである。」の一文でしめくくられていた。『菊帳余話』(1998)所収。(今井肖子)


June 2662009

 捕虫網白きは月日過ぎやすし

                           宮坂静生

モは水中に差し入れて魚などを掬う。こちらの簡略なものは子供の小遣いでも買えたが、捕虫網は柄が長く袋の部分が大きくて網目が細かくできているので比較的高価。小遣いで買うのは大変だった。振り回して破れると母に繕ってもらう。何度も繕っているうちに捕虫網はだんだん小さくなっていった。捕虫網の細かい網目を通して見えてくる故郷はいつも夏の風景だ。自分が子供だったころ、玄関の傘立てなんかに捕虫網はいつもさされてあり、長じて、自分が子供を育てるようになってからは子供の捕虫網が替わりに傘立てにささっていた。捕虫網から捕虫網へ。網目の白から見えてくる風景は永遠に夏だ。『現代の俳人101』(2004)所収。(今井 聖)


June 2562009

 夏座敷父はともだちがいない

                           こしのゆみこ

年梅雨が終わると、祖母は座敷の襖を取り払って簾を吊り下げた。すっかり片づいた座敷の真ん中を涼しい風がさぁっと吹き抜けてゆくのはいかにも夏らしくて気持ちがよかった。夏座敷や打ち水といった季節の風物と縁遠いマンション暮らしの今は、思い出のなかにある風景を懐かしんでいる。そんな夏座敷の真ん中に父が一人で座っている。「父は」と言っているところからそれぞれに友達がいるほかの家族と比べているのだろう。おしゃべりな母はご近所の人たちと、かしましい娘たちも友達とたわいもない話に興じながら日々を暮らしているのかもしれない。寡黙な父はそれを羨むでもなく、一人でひっそり静かな日常を過ごしているのだろう。風通しの良い夏座敷が父の孤独をくっきりと印象付けている。「昼寝する父に睫のありにけり」「蜻蛉にまざっていたる父の顔」など、家族の中で少し寂しげだけど、かけがえのない父の姿を愛情を持って描き出している。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)




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