2009N621句(前日までの二句を含む)

June 2162009

 甚平ややがての日まで腕時計

                           遠藤梧逸

語は「甚平」、夏です。言葉としては知っており、もちろんどんなものかも承知していますが、持ってはいません。人間ドックに行ったときに、似たようなものを着たことがあるだけです。たぶん一生、着ることはありません。特に甚平を毛嫌いする理由があるわけではありません。しかし、全体から感じられる力の抜け方に、どうも違和を感じるのです。そんなに無理してリラックスなどしたくないと、思ってしまうのです。今日の句の中で甚平を着ている人も、だいぶ力が抜けています。おそらく老人です。若い頃にさんざん緊張感に満ちた日々をすごした後に、恩寵のように与えられたおだやかな老後を過ごしているようです。腕時計をしているから、というわけではないけれども、その穏やかな日々にも、時は確実に刻まれ、ゆくゆくは「やがての日」にたどり着きます。この句、読み終えた後でちょっとつらくもなります。「甚平」というよりも、残る歳月をゆったりと羽織っている、そんな感じがしてきます。『日本名句集成』(1991・學燈社)所載。(松下育男)


June 2062009

 アロハ着て竜虎の軸を売り余す

                           木村蕪城

ロハシャツといえば、以前は原色で派手で映画でヤクザが着ている、というイメージだった。この句はヤクザというより香具師か。くわえ煙草で、売れ残ったなんとなくあやしい軸を前に、ちっ、とか言ってそうだ。売れ残る、ではなく、売り余す、という表現が、暑かった日中と、夕焼けのやりきれない赤を思わせる。歳時記の解説によると、アロハシャツは終戦後夏服として爆発的に流行したという。最近は、ハワイの正装、といったイメージの方が強いかもしれないが、夏服として渋い色合いのアロハシャツをうまく着こなしている人も見かける。今年八十四歳の父は、今でも週二回仕事で外出するが、通勤時は一年を通じて白い長袖ワイシャツ、ちょっと出かける時はゴルフのポロシャツ、家にいる時はパジャマ、の生活が続いていた。それが数年前、ハワイに旅行した際、「似合うんじゃない」の孫の一言で、アロハシャツを一枚購入。ブルーが基調の渋めの柄である。長身で色黒の父がそれを着ると、どこから見ても日系二世、ハワイの街にとけこんでいたが、今では夏の一張羅、着心地がよいのだそうだ。明日の父の日、近所の天麩羅屋にアロハを着て出かけることになるかもしれない。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 1962009

 それは少し無理空蝉に入るのは

                           正木ゆう子

句をつくる上での独自性を志す要件はさまざまに考えられるが、この短い形式における文体の独自性は究極の志向といっていいだろう。優れた俳人も多くは文体の問題はとりあえず手がつかない場合が多い。自由律でもない限り575基本形においてのバリエーションであるから、オリジナルの余地は極端に少ないと最初から諦めているひとがほとんどではないか。否な、自由律俳句といえど尾崎放哉のオリジナル文体がその後の自由律の文体になった。自由といいながら放哉調が基本になったのである。内容の新と同時に器の新も工夫されなければならない。この句の器は正木さんのオリジナルだろう。33255のリズムの器。「無理」の言い方が口語調なのでこの文体が成立した。その点と魅力をもうひとつ。「少し」がまぎれもない「女」の視点を感じさせる。男はこの「少し」が言えない。オリジナルな「性」の在り方も普遍的な課題である。『夏至』(2009)所収。(今井 聖)




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