2009N620句(前日までの二句を含む)

June 2062009

 アロハ着て竜虎の軸を売り余す

                           木村蕪城

ロハシャツといえば、以前は原色で派手で映画でヤクザが着ている、というイメージだった。この句はヤクザというより香具師か。くわえ煙草で、売れ残ったなんとなくあやしい軸を前に、ちっ、とか言ってそうだ。売れ残る、ではなく、売り余す、という表現が、暑かった日中と、夕焼けのやりきれない赤を思わせる。歳時記の解説によると、アロハシャツは終戦後夏服として爆発的に流行したという。最近は、ハワイの正装、といったイメージの方が強いかもしれないが、夏服として渋い色合いのアロハシャツをうまく着こなしている人も見かける。今年八十四歳の父は、今でも週二回仕事で外出するが、通勤時は一年を通じて白い長袖ワイシャツ、ちょっと出かける時はゴルフのポロシャツ、家にいる時はパジャマ、の生活が続いていた。それが数年前、ハワイに旅行した際、「似合うんじゃない」の孫の一言で、アロハシャツを一枚購入。ブルーが基調の渋めの柄である。長身で色黒の父がそれを着ると、どこから見ても日系二世、ハワイの街にとけこんでいたが、今では夏の一張羅、着心地がよいのだそうだ。明日の父の日、近所の天麩羅屋にアロハを着て出かけることになるかもしれない。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 1962009

 それは少し無理空蝉に入るのは

                           正木ゆう子

句をつくる上での独自性を志す要件はさまざまに考えられるが、この短い形式における文体の独自性は究極の志向といっていいだろう。優れた俳人も多くは文体の問題はとりあえず手がつかない場合が多い。自由律でもない限り575基本形においてのバリエーションであるから、オリジナルの余地は極端に少ないと最初から諦めているひとがほとんどではないか。否な、自由律俳句といえど尾崎放哉のオリジナル文体がその後の自由律の文体になった。自由といいながら放哉調が基本になったのである。内容の新と同時に器の新も工夫されなければならない。この句の器は正木さんのオリジナルだろう。33255のリズムの器。「無理」の言い方が口語調なのでこの文体が成立した。その点と魅力をもうひとつ。「少し」がまぎれもない「女」の視点を感じさせる。男はこの「少し」が言えない。オリジナルな「性」の在り方も普遍的な課題である。『夏至』(2009)所収。(今井 聖)


June 1862009

 焼酎と鉄腕アトムの模型かな

                           瀬戸正洋

の前にあるものを並べて書いた俳句に思えるが、読んだあと物憂い印象が残る。焼酎のそばに置いてある古ぼけた鉄腕アトムのプラモデル。とある酒場の薄暗いカウンターでそれらをぼんやり眺めている作者に気持ちを重ねると「かな」の詠嘆に込められた孤独が響いてくる。「親殺し子殺し地雷と筍と」「拉致と核と餓死と憎悪と朧月」など並びの強烈なのも多々あるが、時事俳句など利いた風な名で括りたくはない。ひとつひとつの言葉は重いのに、強く主張してくるものを感じさせないのはなぜだろう。かといって現実を突き放して傍観しているわけでもない。作者独自の立ち位置でさんざんな現実と季語を等価に並べ、読む側に説明しがたいむず痒さと、静かなゆさぶりをかけてくるようだ。句集とともに収録された論も面白く読み応えのある一冊だった。『A』(2009)所収。(三宅やよい)




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