あと三日。まだいくつか整理しておくべきことがあって、けっこう大変だ。(哲




2009ソスN6ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1762009

 海月海月暗げに浮かぶ海の月

                           榎本バソン了壱

水浴シーズンの終わり頃になるとクラゲが発生して、日焼けした河童たちも海からあがる。先日(5月下旬)東京湾で、岸壁近くに浮かぶクラゲを二つほど見つけた。「海月」はクラゲで「水母」とも書く。ミズクラゲ、タコクラゲ、食用になるのがビゼンクラゲ。近年はエチゼンクラゲという、漁の妨害になる厄介者も大量発生する。掲出句は海水浴も終わりの時節、暗い波間に海月がいくつも浮かんで、まるで海面を漂う月を思わせるような光景である。実際の月が映っているというよりも、ふわふわ白く漂う海月を月と見なしている。解釈はむずかしくはないが、「海月(くらげ)」と「暗げ」は了壱得意のあそびであり、K音を四つ重ねたのもあそびごころ。「海の月」と「天の月」をならべる類想は他にもあるが、ここはまあそのあそびごころに、詠む側のこころも重ねて素直にふわふわと浮かべてみたい。了壱は「句風吹き根岸の糸瓜死期を知る」というあそびごころの句にも挑戦して、既成俳壇などは尻目に果敢に独自の「句風」を吹きあげつづけている。かつて、芭蕉の「夏草や兵共が夢の跡」を、得意のアナグラムで「腿(もも)が露サドの縄目の痕(あと)付くや」というケシカランあそびで、『おくのほそ道』の句に秘められた暗号の謎(?)をエロチックに解明してみせて、読者を驚き呆れさせた才人である。そう、俳句の詩嚢は大いにかきまわすべし。『春の画集』(2007)所収。(八木忠栄)


June 1662009

 人間に呼吸水中花に錘

                           石母田星人

る記念会のお土産のために、水中花をまとめ買いしたことがある。小さなグラスのなかで軽やかに広がる可愛らしい造花としか想像していなかった手に届いたそれらは、ずっしりと思いもよらぬ重量だった。水のなかで揺らめく優美な姿が、錘でつなぎとめられていることをすっかり忘れていたのだ。掲句では肝心なものとして呼吸と錘をそれぞれ並べているのだが、ふとある本に「人間は空気の層の底辺で這うようにして生きている」と書かれていたことを思い出した。地上は、見方を変えれば空気の底でもあるのだという事実に愕然としたものだが、掲句であっさりと呼吸と錘が並記されてことにより、人間も深く息を吐かなければ、実は浮き上がってしまう心もとない生きもののように思えてきた。折しも各地で空からおたまじゃくしが降ってきたという不思議なニュース。うっかり呼吸を忘れてしまったおたまじゃくしたちが、まるで音符を連ねるようにぷかりぷかりと雲に吸い込まれてしまったのかもしれない。白い画用紙を広げたような梅雨の空を見あげながら、大きく丁寧に息をしてみる。『膝蓋腱反射』(2009)所収。(土肥あき子)


June 1562009

 一鍬で盗みし水の音高し

                           遊田久美子

の「水盗む」も、使われなくなった季語の代表格だろう。しかし新しい歳時記にも、依然として「水番」の傍題で載せられている。昔の句を読む際の手引きになるからだ。昔といっても、掲句の場合はおそらく昭和三十年代くらいの作ではあるまいか。その頃まではまだ農事用水が貧弱だったので、水争いは各地で発生していた。日照りがつづくと、田の水が干上がってくる。水を平等に確保するために、農民同士いろいろな約束を結んではいたけれど、それを無視して夜陰に乗じ、自分の田に水を引き入れるのが「水盗む」だ。そうはさせじと見張りを置く。これが「水番(みずばん)」。いくら約束事があっても、自分の田の水がなくなってきたら、どうにかしたくなるのは当たり前だ。そのままにしておけば、秋の収穫は望めない。やむなく作者は夜中こっそり田に出ていって、ほんの「一鍬」だけ入れて、畔の隅の方に小さな水路を作った。途端に水が注ぎ込みはじめたのだが、あたりの静寂を破るほどの轟音に聞こえたと言うのである。昼間だったら、ちょろちょろ程度の音だろう。水泥棒という後ろめたさが伴うので、作者は心臓が破裂しそうになっている。年に一度の収穫しかできない稲作仕事は、ある意味で博奕商売である。負けたら、確実に飢えが待っている。それを避けるためには、他人の水にだって手を付けなければならぬ。この国の農業は、一方でそんな暗い歴史を背景につづいてきた。私と同世代の作者の家は代々の農家だそうで、進学の希望もかなえられなかった経歴を持つ。元農家の子の心にも、深く沁み入ってくる作品である。『鎌祝』(2009)所収。(清水哲男)




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