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June 1562009

 一鍬で盗みし水の音高し

                           遊田久美子

の「水盗む」も、使われなくなった季語の代表格だろう。しかし新しい歳時記にも、依然として「水番」の傍題で載せられている。昔の句を読む際の手引きになるからだ。昔といっても、掲句の場合はおそらく昭和三十年代くらいの作ではあるまいか。その頃まではまだ農事用水が貧弱だったので、水争いは各地で発生していた。日照りがつづくと、田の水が干上がってくる。水を平等に確保するために、農民同士いろいろな約束を結んではいたけれど、それを無視して夜陰に乗じ、自分の田に水を引き入れるのが「水盗む」だ。そうはさせじと見張りを置く。これが「水番(みずばん)」。いくら約束事があっても、自分の田の水がなくなってきたら、どうにかしたくなるのは当たり前だ。そのままにしておけば、秋の収穫は望めない。やむなく作者は夜中こっそり田に出ていって、ほんの「一鍬」だけ入れて、畔の隅の方に小さな水路を作った。途端に水が注ぎ込みはじめたのだが、あたりの静寂を破るほどの轟音に聞こえたと言うのである。昼間だったら、ちょろちょろ程度の音だろう。水泥棒という後ろめたさが伴うので、作者は心臓が破裂しそうになっている。年に一度の収穫しかできない稲作仕事は、ある意味で博奕商売である。負けたら、確実に飢えが待っている。それを避けるためには、他人の水にだって手を付けなければならぬ。この国の農業は、一方でそんな暗い歴史を背景につづいてきた。私と同世代の作者の家は代々の農家だそうで、進学の希望もかなえられなかった経歴を持つ。元農家の子の心にも、深く沁み入ってくる作品である。『鎌祝』(2009)所収。(清水哲男)




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