朝寝して夜寝するまで昼寝してときどき起きて居眠りをする。かくありたし(笑)。(哲




2009ソスN6ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0762009

 酒を煮る家の女房ちよとほれた

                           与謝蕪村

語は「酒を煮る」、夏です。聞きなれない言葉ですが、江戸時代には酒を煮たようです。殺菌のためでしょうか。おそらく蔵出しの日には、女将が道行く人にお酒を振舞ったのでしょう。この句、どう考えても空想で書いたとは思えず、あるいはわざわざ空想で書くほどの内容でもなく、作者自身の体験をそのまま詠んだとしか思われません。みょうに実感があります。深みにはまってしまうのではなく、女性を見て、ああきれいな人だなという程度の、罪のない賛美のこころがよく描かれています。まさに、酒に酔えば美のハードルは若干低くもなっており、軽く酔ったよい気分で、女性に心が向かう姿が素直に伝わってきます。「ちよとほれた」は、すでに酒と恋に酔ってしまった人の、箍(たが)の外れた言い回しになっています。ともかく、こんなふうに浮かれている作者の姿が、なんだかとても身近に感じられ、読者は蕪村の句に、ちょっとならずも惚れなおしてしまいます。『日本名句集成』(1991・學燈社)所載。(松下育男)


June 0662009

 妙なとこが映るものかな金魚玉

                           下田實花

余りの上五の口語調が、新橋の芸妓であった實花らしいちゃきちゃきした印象。団扇片手に涼んでいたら、縁先に吊した球形に近い金魚玉に、あらぬ方向の窓の外を通る人影かなにかが動いて見えたのだろう。日常の中で、あら、と思ったその小さな驚きを、さらりと詠むところは、同じ芸妓で句友でもあった武原はん女と相通じている。實花、はん女、それにやはり新橋の芸妓で常磐津の名手であった竹田小時の三人が、終戦直後の名月の夜、アパートの屋上でほろ酔い気分、口三味線に合わせ足袋はだしで舞った、という話をはん女の随筆集で読んだ。その小時にも金魚の句〈口ぐせの口三味線に金魚見る〉がある。知人の金魚が金魚玉いっぱいに大きくなってしまった時、窮屈そうで気の毒と思うのは人間の勝手、あの子はあれで案外幸せなのよ、と言っていた。見るともなく金魚を見ている二人の芸妓。何が幸せ不幸せ、ときに自分を重ねてみたりすることもあっただろうか。『實花句帖』(1955)所収。(今井肖子)


June 0562009

 香水や腋も隠さぬをんなの世

                           石川桂郎

本家の馬場當さんが言った。「今井君えらい世の中になったよ」近所の夫婦の夫婦喧嘩の仲裁をしたときのことらしい。妻の浮気を疑っている夫を妻は鼻でせせら笑った。「まったくうるさいわねえ。浮気してたらどうだって言うのよ。減るもんじゃあるまいし」君ねえ、女の方が「減るもんじゃあるまいし」って言うんだ。世の中も変わったねえ。馬場さんが感慨ぶかげに言ったのが5年前。この前会ったときも女性論議。「今、女が運転しながら咥え煙草は当たり前だもんな。今井君もう少し経つと女が立小便するようになるよ」立小便はともかくも男女関係のどろどろの修羅場を得意とする馬場さんらしい慨嘆だとは思った。まあ、男はとかく女に自分の理想を押し付けたがる。そこの虚実にドラマも生まれる。腋を隠さぬくらいで男が驚いたのは昭和29年の作。ここから確かに虚実の実の方の範囲は拡大した。「らしさ」という虚の方もまた時代に沿って姿を変えている。「減るもんじゃなし」を桂郎さんに聞かせたらたまげるだろうな。『現代俳句大系第十一巻』(1972)所収。(今井 聖)




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