十月より三鷹市ゴミ有料化。裏庭に穴を掘ってポイポイ捨ててた昔が懐しい。(哲




2009ソスN5ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1352009

 深川や低き家並のさつき空

                           永井荷風

五「深川や」のすべり出しで、下町の景色がパノラマのように広がる。もちろんノッポやデブの建物などない時代、かつての下町風景である。しかも五月晴れの空が果てしなく広がっている。初夏の空気はどこまでも澄んでいただろうし、時間もゆったり刻まれていたことだろう。五月晴れの空の下に、肩寄せ合っている「低き家並(やなみ)」がうれしい。そこに慎ましい日々を、マメに営む人々の姿も見えてくるようだ。「さつき」は「早苗月」の略とするのが一般的だそうである。江東区深川は下町の代表とされる。地名のおこりは、江東の湿地帯を開拓した深川八郎右衛門にちなんでいるとか。隅田川と荒川にはさまれて、運河や小さな川などが縦横に走る一帯である。小石川生まれの荷風が好んで浅草や深川あたりを逍遥し、数々の名作や日記を残したことは改めて記すまでもない。さつきを詠んだ荷風の句に「青梅の屋根打つ音や五月寒」がある。風景の広がりを詠んだ掲出句に対し、こちらの句は音を詠んでいる。今年は荷風没後五十年。好んで郊外を散歩したわけを、荷風は「平生、胸底に往来している感想によく調和する風景を求めて、瞬間の慰謝にしたいため」と書き残している。『荷風句集』(1948)所収。(八木忠栄)


May 1252009

 裁ち台のウエディングドレス風薫る

                           長谷川祥子

夏を過ぎ、梅雨に入るまでの東京の気温と湿度は、わずかに高原の夏にも似た快適さを感じることができる貴重な一ヵ月である。一年のなかでもっとも清潔感あふれる陽気ではないかと思う。明るい日差しに、緑の香を濃く溶いた風を、半袖になったばかりの腕に受けるのは、まるでミントの葉が添えられたアイスクリームのように心地よい。そしてその明るさは、木陰の闇を一層意識させるまぶしさでもある。掲句の裁ち台に置かれているのが、未完成のウエディングドレスであることに大きく胸が波立った。初夏の風は窓辺のカーテンを船の帆のようにふくらませたあと、純白のサテンやシフォンが渦巻くなかに、紛れ込んだのだ。何の樹、何の花とも判然としないが、しかしはっきりと含まれる芳香が、結婚という儀式のおごそかな美しさと、ほのかな秘密の気配を引き寄せる。まだ形をなしていないなめらかな生地が丁寧に裁断され、縫い合わされ、ゆっくりと六月の花嫁を包むウエディングドレスになっていく。『野外奏』(2008)所収。(土肥あき子)


May 1152009

 おばさんのような薔薇園につかれる

                           こしのゆみこ

はは、ホントホント。毎年夏になると、バスで十五分ほどの神代植物公園に出かけるが、この季節の目玉は薔薇園である。全部で三十万輪も咲くというから、壮観だ。現代薔薇の始祖とされる貴重な「ラ・フランス」も咲いてくれる。それはそれで結構なのだけれど、見ているうちにどんどん疲れが増幅してくるのは何故なのか。いつも不可思議に思っていたが、掲句を読んで納得できたように思う。言われてみれば、何かの拍子におばさんたちの輪の中に入ってしまったときの疲れように、確かに似ている。中高年女性を一口で「おばさん」と括ってしまうことの是非は置くとして、総じておばさんなる人たちは押しの強いのが特徴だ。饒舌であれ寡黙であれ、彼女たちの自己主張ぶりには辟易させられることが多い。とにかく無視は許されない雰囲気がある。だから、会話には気を使う。あちらを立てたら、こちらも立てなければならない。薔薇だって同じこと。豪華な花もあるし、清楚に通じるそれもある。でも、そのいずれもが、押しの強さでは負けていない。お互いに妍を競いつつ、こちらの顔色をじいっとうかがっているように見えてしまう。疲れるのは当たり前なのである。しかも、この句は同性の作だ。してみると、おばさんたちは同性の仲間内にあっても、男と同じように疲れるというわけか。いやはやご苦労さんとでも言うしかないけれど、意地悪な句のようであって、そうではないくすくす笑いを誘うところに、作者の人柄を垣間見たような気がした。『コイツァンの猫』(2009)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます