季語がシネラリアの句

April 2142009

 いくらでも眠れる体サイネリア

                           三好万美

前「夕方ちょっと眠るつもりが起きたら朝だった」という失敗談をしていたら、「眠るのも若さ」と言われたことがある。たしかに加齢とともに、少しの物音にも目覚めてしまうことが多くなった。いくらでも眠れる掲句の身体は、春のけだるさとともに、健やかな若さも表現している。また、いつまでも眠り続ける「いばら姫(眠れる森の美女)」の眠りは、魔法使いの呪いによるものであり、りんごを喉に詰まらせた白雪姫が柩に横たわる姿を王子は「まるで眠っているようだ」とつぶやく。これらの寓話は、眠り続ける姿と禍々しい死はごく親しいものがあると感じさせる。一方キク科のサイネリアの花言葉は「いつも快活」。その名の通り、春そのもののようなカラフルな花との取り合せに、一瞬残るわだかまりは、眠りの底に流れている薄気味悪さをひっそりと引き出すことに成功しているからだろう。〈犬は腹見せ合い眠る桃の村〉〈わたくしを呼んだか振り向けば椿〉『満ち潮』(2009)所収。(土肥あき子)




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