文庫解説。車谷長吉『飆風』(文春)松本哉『女たちの荷風』(筑摩)、ふうっ。(哲




2009ソスN3ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2732009

 春濡れの雉子鳩の翅役者の子

                           栗林千津

子鳩の見える風景から、旅役者の子を思う。旅役者子といえば「伊豆の踊り子」。百恵ちゃんの「かおる」も良かったが、何といっても吉永小百合だ。映画の最後の場面で、一高生川島と別れたあと、酔客たちに囃されながら奴さんの振りで踊っている小百合ちゃんの可憐さが強烈に心に残った。映画化されたものの中だけでも、この二人のほかに、田中絹代、美空ひばり、内藤洋子、鰐淵晴子。どの「かおる」もその時代のニキビ面の青年の胸を揺さぶったに違いない。この句の作者は現実的な空間の中でのドラマ仕立てを意図する傾向にはない。「春濡れ」という伝統派にはない季語の用い方や、鳥なのに「羽」を用いず「翅」というところにその特徴が出ている。違和感や屈折感をも利用して言葉が内面を象徴するように願う方法。そう理解していても読者の側からあえてドラマに引き込んで鑑賞したくなる俳句もある。『蝶や蜂や』(1990)所収。(今井 聖)


March 2632009

 琴光喜おしりが勝つと言うて春

                           中谷仁美

のむかし相撲に熱中していた時期がある。毎日毎日中入り前から見ていたのであらかたの力士の名前を覚えていたが、この頃はめっきり見る機会が減り、番付に知らない名前が増えた。覚えているところでは太い腕で豪快に投げを打つ魁皇、朝青龍は相手をにらみ返す流星のような目が印象的だ。琴光喜は作者が贔屓にしている力士。しこを踏む姿、立合いの仕切りの姿に回しをぎゅっと締めこんだお尻がチャームポイントなのだろう。大事な取り組みの勝利を願って作者は正坐でテレビを見守っているのかもしれない。「この一番、勝って!」という熱い思いに画面の中の琴光喜のお尻が「勝つ」と答えているようだ。この勝負「琴光喜寄り切りだろう春の雷」の句のように怒涛の攻めで琴光喜が勝っただろうか。今場所も残り少ないけど、怪我することなく頑張ってほしいものですね。『どすこい』(2008)所収。(三宅やよい)


March 2532009

 全身を春いっぱいにする涙

                           豊原清明

東地方でもようやく桜がほころびはじめた。春はなにも桜とかぎったわけではないけれど、やはり桜が咲くことによって、私たちのからだのなかにも春は機嫌よく広がってゆく。「全身を春いっぱいにする」のは、春の真新しい涙に映っているチューリップであり、辛夷であり、桜であり、青空に浮かぶちぎれ雲かもしれない。それらは春があちらこちらにあふれさせ、こぼした「涙」とも言えるのではないか。「涙」をもってきたところに、作者の清新なポエジーが感じられる。幸せいっぱいの涙、悲しみをこらえきれない涙、理由もなくセンチメンタルになってしまう涙・・・・全身になぜか涙が広がり、春が広がってゆくうれしさ。きれいな季節を奏でているかのような春の涙。春こそいろいろな意味での「涙」があふれる季節、と言っていいかもしれない。その涙は目からあふれるにちがいない。それ以前に全身これ春というふうに涙がいっぱい詰まっている、そのように大胆にとらえているところに、この詩人独自のポエジーの躍動が鮮やかに感じられる。春と涙の関係に鋭く着目したわけである。清明は処女詩集『夜の人工の木』で第一回中原中也賞を受賞した(1996)。「朝日新聞」俳壇では金子兜太選で現在も頻繁に入選していて、私は以前から注目している。清明は「ここ数年、真面目な俳句を『海程』に投句しています」と書いている。「火曜」97号(2009)所載。(八木忠栄)




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