節約アドバイザーなる人がいる。節約にまでアドバイスとは余計なお世話だ。(哲




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March 2232009

 控除欄に百一歳の母納税期

                           佐滝幻太

ょうど先週の今頃は、いやいやながらも台所のテーブルに向かって確定申告の計算を始めていました。計算自体はそれほどに面倒なものではなく、小一時間も集中すれば終わってしまう作業ではありますが、なかなかやり始めようという気が起きません。それでも用紙に向かい、要求された欄にひとつひとつ数字を埋めてゆけば、年に一度のことゆえ、それなりの感興は湧いてきます。中でも「控除欄」は、納税者のかすかに抵抗の出来る、あるいは唯一、優しいまなざしの感じられる場所でもあります。「配偶者控除」に数字を入れれば、わたしには人生をともにしてくれる人がいたのだと改めて感謝し、「扶養控除」に数字を入れれば、わたしに頼って生きているものがコノヨに何人かはいるのだと、励まされもするわけです。今日の句も、その扶養控除を詠っており、ここではなんといっても「百一歳」の文字が光っています。扶養している、というよりも百一歳の身は、老人扶養親族として納税者の税額を立派に減らしてくれており、助けられているのはむしろ扶養する側であることを実感するわけです。それはおそらく、税金だけの問題ではなく、生きてゆく日々に、百一歳の母親から与えられるものは数多くあるはずなのであり、と、しかしこんな理屈は、暖かな春の日差しに日向ぼっこをしている百一歳の母親には、どうでもよいことなのでしょう。「俳句界」(2009年3月号)所載。(松下育男)


March 2132009

 大男にてもありける利久の忌

                           相生垣瓜人

休忌(利久忌)は、旧暦二月二十八日。今年でいうと、三月二十四日にあたる。そして利休の身長は、残されている鎧から推測すると180cm位だったらしい。利休、茶道、侘び茶という連想から、こじんまりと枯れた雰囲気の人物像を勝手に想像してしまっていたが、考えてみれば戦国時代、お茶を点てるのも命がけであり、利休にしろ始めからおじいさんだったわけではない。それにしても、秀吉の身長が、通説の140cmは不確かとはいえ、少なくとも小柄だったことは間違いないとすれば、二人の心理的関係の別の側面も想像される。この句は、利休は大男であった、という、ちょっと意外とも思われる事実を、やや詠嘆をもって詠んでいる。それを知っていれば、そうなんだよね、と思いながら、知らなければ、へえそうなんだ、と思いながら、利休の生涯にそれぞれがふと心を留めるだろう。正座と和菓子が大の苦手で、茶道はとても近寄りがたいが、利休という人物にはちょっと興味をひかれるのだった。「新日本大歳時記 春」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


March 2032009

 男根担ぎ佛壇峠越えにけり

                           西川徹郎

ぎも越えるも具体的な動作だから、まずそういうふうに読んでみると、担がねばならぬほどの巨大な男根を肩に乗せて、作者が佛壇峠という峠を越えてゆく。佛壇で一度句が切れれば、佛壇が男根を担いで峠を越える図になるのだが、「けり」という止めかたもあり、まずは佛壇では切れないと踏んだ方がよさそうだ。肩に乗せた男根とは何ぞや。ああ、これは自分の性的な意識の象徴だと思ってみる。そうすると佛壇峠は倫理観の象徴かもしれない。略歴をみると、作者は僧侶。それで少し納得が行く。性への衝動と、倫理観でそれを抑制しようとする自己の内部のせめぎあいが峠越えか。おもわず噴出しそうな図柄を見せておいて、何か人間の本質的な暗部へとこの句は誘っているのかもしれない。細谷源二の「氷原帯」を出自とする作者だが、虚子系の俳人吉本伊智朗の句に「縛されて仏壇がゆく接木畑」がある。こちらも不思議な佛壇の存在感である。『西川徹郎全句集』(2000)所収。(今井 聖)




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