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2009ソスN2ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2722009

 虚子の亡き立子の日々や立子の忌

                           今井千鶴子

濱虚子が亡くなったのが1959年4月8日、立子が1984年3月3日。次女であり虚子にことに愛されたといわれる立子にとって虚子没後の四半世紀がどんなものであったのか。作者は虚子の縁戚として立子の主宰誌「玉藻」の編集に従事し、また晩年の虚子の口述筆記に携わるといういわば「ホトトギス」の内情に精通する立場から立子の気持ちに思いを馳せているわけである。そういう鑑賞とは別に興味ある角度をこの句は見せてくれる。虚子をAと置き、立子をBと置くと、この句は「Aの亡きBの日々やBの忌」という構造になる。AとBのところに自分の思いのある二人の人間、あるいは動物などを入れるとA、Bの関係に思いを馳せる「自分」との三者の関わりが暗示される結果になる。文意や意図とは別の次元で、定型詩の新しい文体や構造はこのようにして生まれてきたのだ。『過ぎゆく』(2007)所収。(今井 聖)


February 2622009

 二人居るごとく楽器と春の人

                           中村草田男

器はどれもエロチックで美しいフォルムを持っている。掲句を読んであらためて考えてみると確かに演奏者が楽器と寄り添う姿は恋人を抱擁しているようだ。この「人」にかかる季節をいろいろ入れ替えてみたが、一番よく音楽が似合う季節はなんといっても春。暖かな春の休日に井の頭や石神井公園を散歩していると、バイオリンやフルートの音色が流れてきて心が明るくなる。夢中になって演奏している姿は実に楽しそうで、楽器と睦み、語らっているようだ。楽器は人が繰るものではなく、自分の感情を指や呼吸で伝えれば、音で答えてくれるもの。表現するのに技術を鍛えなければならないのはもちろんだけど、どんな語りかけにも良い音色で応えてくれるほど楽器は優しくない。そう思えば「二人居るごとく」と見るものに存在感を感じさせるのは恋人に対する心遣いで楽器と向き合ってこそかもしれない。『大虚鳥』(おほをそどり)(2003)所収。(三宅やよい)


February 2522009

 幇間の道化窶れやみづっぱな

                           太宰 治

の場合、幇間は「ほうかん」と読む。通常はやはり「たいこもち」のほうがふさわしいように思われる。現役の幇間は、今やもう四人ほどしかいない。(故悠玄亭玉介師からは、いろいろおもしろい話を伺った。)言うまでもなく、宴席をにぎやかに盛りあげる芸人“男芸者”である。いくら仕事だとはいえ、座持ちにくたびれて窶(やつ)れ、風邪気味なのか水洟さえすすりあげている様子は、いかにも哀れを催す。幇間は落語ではお馴染みのキャラクターである。「鰻の幇間(たいこ)」「愛宕山」「富久」「幇間腹(たいこばら)」等々。どうも調子がいいだけで旦那にはからかわれ、もちろん立派な幇間など登場しない。こういう句を太宰治が詠んだところに、いかにも道化じみた哀れさとおかしさがいっそう感じられてならない。考えてみれば、太宰の作品にも生き方にも、道化た幇間みたいな影がちらつく。お座敷で「みづっぱな」の幇間を目にして詠んだというよりも、自画像ではないかとも思われる。「みづっぱな」と言えば、芥川龍之介の「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」がよく知られているし、俳句としてもこちらのほうがずっと秀逸である。二つの「水洟」は両者を反映して、だいぶ違うものとして読める。太宰治の俳句は数少ないし、お世辞にもうまいとは言えないけれど、珍しいのでここに敢えてとりあげてみた。ほかに「春服の色 教えてよ 揚雲雀」という句がある。今年は生誕百年。彼の小説が近年かなり読まれているという。何十年ぶり、読みなおしてみようか。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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