街頭や駅でのティッシュ配りがまた増えてきた。以前のように断る人は少ない。(哲




2009ソスN2ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2222009

 春日や往来映ゆる海のへり

                           小杉余子

んなにすぐれた句に出会っても、読んですぐには、いったい自分がその句の、どのような点に感動したのかが、明確にはわかりません。その時の印象としては、ただひどく気になって仕方がない、というだけのことなのです。今日の句を読んだときにも、どうしてこの句が新鮮に感じたのかが、しばらくわかりませんでした。とにかく鮮やかなものが、こちらに押し寄せてきたのです。幾度も読み返しているうちに、自分の中の受け止め方が、少しずつ見えてきました。それはおそらく、視点が、陸地から海へ向かっているのではなく、逆方向に、つまりは海のほうから陸地を見下ろしているように感じたからなのです。その陸地は、断崖絶壁の手の届かないところにあるのではなく、手を伸ばせばすぐに触れられそうな、人々がいくらでも歩いている「往来」だというのです。「映ゆる」は、海の照り返しが光となって、往来を行き来する人々の顔を下から照らしているということでしょうか。人々の日常の、すぐ隣に非日常の海が迫っている。生きるとはそのようなことなのだと、美しく、言われているようです。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


February 2122009

 庭先の梅を拝見しつつ行く

                           松井秋尚

るほど拝見とは、今が盛りの梅にして言い得て妙である。さりげない表現だが、まこと梅らしい。家から駅まで、数分の道のりだけれど、私にも毎年拝見させていただいている梅の木が何本かある。夕暮れ色の薄紅梅、濃紅梅の盆梅、などまさに庭先の梅ばかり。他にも、黒い瓦屋根がりっぱな角の家の白梅。花は小ぶりなのだが咲き広がってきらきらしている。近くのお寺の境内の奥には、今年初めて気がついた青軸の梅が二本。刈り込まれた庭園の梅とはまた違って野梅めき、ひっそり自由に咲いている。梅林よりも、そんな庭先の親しさが好もしい。花の色も形も枝ぶりも実にさまざまな梅の、長い花期を楽しむうち、冴え返ったりまたゆるんだりしながら、日は確実に永くなってきている。サラリーマン時代に、会社の研修の一環で俳句を始められたという作者。〈勤めたる三十年や遠蛙〉〈入社式大根足のめづらしく〉『海図』(2006)所収。(今井肖子)


February 2022009

 一呼気をもて立たしめよ冬の虹

                           山地春眠子

気に、こきとルビあり。息を吐くと虹が立つイメージは美しいが珍しい発想とはいえない。この句を特徴あらしめているのは、吐く息を呼気と言ったところ。言葉が科学的な雰囲気を帯びて、体の現象として厳密に規定されること。つまり科学、医学、病気、病状という連想を読者にもたらすのだ。「梅の香や吸ふ前に息は深く吐け」は波郷の自分を客観視した述懐。この句は「立たしめよ」で他者に対する祈りの思いが出ている。この句所収の句集を見ると章の前書きから病状重い妻への祈りの絶唱とわかるが、たとえそれがわからずとも、「立たしめよ」や「虹」などの情感横溢の心情吐露の中で、「呼気」だけが持つ違和感に気づくとこの祈りのリアルさがよくわかる。『元日』(2009)所収。(今井 聖)




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