電子辞書を購入した。100種類ものコンテンツとワンセグも。当分遊べそう。(哲




2009ソスN2ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0522009

 春の海地球に浮きし船の数

                           渡部ひとみ

の海はおだやかでのどか。ひゅーるるると頭上を鳶が飛んでゆくのも嬉しい。寒い北風に封じ込められていた海の中でも生き物たちが動きはじめる。そんな春の海に船の取り合わせは平凡に思えるが、それを「地球」サイズの大きさに広げたことで、暗黒の宇宙に浮かぶ地球そのものもあまたの船を抱え込む船に思えてくる。青く静まる海にどれだけの船が浮かんでいるのか、考えるだけで気の遠くなる思いだが、貨物船、客船、屋形船、ヨットからカヌーまで、それぞれの船に似合いの海の名前、その色を想像してみるのも楽しい。作者は写真家でもあり、CDジャケットの大きさの句集はさまざまな写真に彩られている。掲句には東京タワーを彼方に見下ろした東京の景観が取り合わせてある。こうした構成には、読み手が俳句から広げるイメージを損なわないよう句と写真を組み合わせるセンスが必要なのだろう。ページをめくるたびその妙が楽しめる一冊になっている。『再会』(2008)所収。(三宅やよい)


February 0422009

 スナックに煮凝のあるママの過去

                           小沢昭一

、昔の家はみな寒かった。ストーブのない時代、せいぜい炬燵はあっても、炬燵で部屋全体が温まるわけではない。身をすくめるようにして炬燵にもぐりこんでいた。まして火の気のない時の台所の寒さは、一段と冷え冷えとしていた。だから昨夜の煮魚の汁は、朝には鍋のなかで自然と煮凝になっていることが多かった。掲出句の煮凝は料理として作られた煮凝ではなく、ママさんが昨夜のうちに煮ておいた魚の煮汁でできた煮凝であろう。お店で愛想を振りまいているママさんの過去について、男性客たちはひそかに妄想をたくましくしているはずだが、知りようもない。知らないなりに、しみじみと煮凝をつついているほうが身のためです。まあ、女性としての変遷がいろいろとあったのでしょう。決して輝かしい一品料理ではなく、さりげない(突き出しの)煮凝に過去の変遷が重なって感じられる。ママさんの過去がそこに一緒に凝固しているようでもある。「煮凝」と「ママの過去」の取り合わせ、昭一ならではの観察に感服。小ぢんまりとしてアットホームなスナックなのだろう。この場合、「女将(おかみ)」ではなく、「ママ」という言葉のしゃれた響きがせつない。一九六九年一月の第一回やなぎ句会の席題句で、天位に入賞した傑作。その席で、ほかに「煮凝や病む身の妻の指図にて」(永井啓夫)「煮こごりの身だけよけてるアメリカ人」(柳家小三治)などの高点句もあった。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


February 0322009

 かごめかごめだんだん春の近くなる

                           横井 遥

だまだ寒さ本番とはいえ、どこかで春の大きなかたまりがうずくまっているのではないか、と予感させる日和もある。夏も冬もどっと駆け足で迫りくる感じがあるが、春だけは目をつぶっている間にゆっくりゆっくり移動している感触がある。掲句はそのあたりも含んで、「かごめかごめ」という遊びがとてもよく表しているように思う。輪のなかの鬼が目を覆う手を外したとき、またぐるぐる回っている子どもたちが立ち止まったとき、春はさっきよりずっと近くにその身を寄せているような気がする。「後ろの正面」という不可思議な言葉と、かならず近寄りつつある春のしかしその掴みきれない実態とが、具合よく手をつないでいる。明日は立春。「後ろの正面だぁれ」と振り返れば、不意打ちをされた春の笑顔が見られるのではないだろうか。〈あたたかや歩幅で計る舟の丈〉〈大騒ぎして毒茸といふことに〉『男坐り』(2008)所収。(土肥あき子)




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