クルマ社会パンク寸前。クルマなしには生きられない人々を作ったのは誰だ。(哲




2009ソスN1ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2112009

 雪竹のばさとおきたる日向かな

                           中 勘助

きたる、は「起きたる」。竹は冬なお青い葉をつけているが、ある量の雪が降ると、その重さに耐えきれず、枝に雪をのせたまま撓い弓なりになって、先端のほうの枝葉が雪に埋もれて凍りついてしまう。陽が高くなって暖気になると、竹は溶けだした雪をはね飛ばしてビーンと起きあがることがある。雪竹が時折「ばさ」と音立てて起きあがったのち、竹林にはいっそうの静寂が広がる。勘助はその瞬間を「ばさとおきたる」ととらえた。私にも実際にこんな経験がある。――子どもの頃、雪がかなり積もると裏山にあるわが家の竹林へ出かける。何本もの竹が雪をのせて弓なりになっている。耐えきれずにすでに折れている小竹もある。子ども心にも可哀相だから、片っ端から竹の先端を埋めた雪を除けてやる。すると竹は生き返ったように、まさに「ばさ」と雪をあたりに散らし、身震いするようにビーンと起きあがる。それがうれしくておもしろくて、心をワクワクさせながら次々に竹を起こしてあるいた。親に言いつけられたわけではなく、たまたま雪で弓なりになっている竹を目にしてからは、雪が積もると裏山へ出かけて行った。起きあがる竹の喜びの声が聞こえるようだった。起きあがった竹の青々とした樹皮を、溶けた雪が雫になって伝わり落ちる。そうして初夏に生え出るタケノコには格別な味わいを感じた。――今は昔のものがたり。勘助は太平洋戦争で疎開した頃から俳句を作りはじめ、多くの俳句を残している。「ひとり碁や笹に粉雪のつもる日に」という一句もある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 2012009

 自転車を嘶く形にそろへ冬

                           小林貴子

の多い東京の町を自転車で走るとき、ときおり人馬一体という言葉が頭をよぎる。上り坂でがんばっているのは自分ひとりのはずなのに「がんばれがんばれ」と自転車に言い聞かせている。その中にすとんと体を収める自動車は移動する自室という感覚になるが、サドルにまたがりペダルを漕ぐという肉体的な動作を伴い、外気と触れ続ける自転車は、歩くや走るの延長線上にあり、尚かつ愛着のあるものともなると愛馬に抱く感情に近い。掲句もきれいに並べられた自転車置き場に自分の一台を加えたとき、ふとつながれた馬の姿を重ねたのだろう。人間の足音が遠ざかったのち、ほうぼうの自転車は嘶きの白息をこぼすのかもしれない。今回ネットサーフィンのなかで「サイクルポロ」という競技を見つけた。その名の通り自転車を使ったポロ競技で、馬を飼うのが大変だったことが起源という。しかし、さすがに流鏑馬のかわりに自転車で、という競技は今のところないようだ。〈マント羽織るときに体を半回転〉〈遠き冬針焼いて棘抜きしこと〉『紅娘』(2008)所収。書名「紅娘」はてんとうむし。(土肥あき子)


January 1912009

 餅切てゐるらし遠のく思ひのよろし

                           河東碧梧桐

を切る音を久しく聞かない。今はスーパーで、手ごろな大きさに切ってある餅を売っていたりする。といって、掲句の「餅切る」は、雑煮や汁粉のために少量を切っているのではないだろう。昔は正月に入ってからもう一度餅を搗き、保存食として「かき餅」にしたものだ。箱状の容器に薄く伸べた餅を、包丁で細く短冊状に切ってゆく。たくさん切るのだから、この単純作業には手間がかかる。面白い作業ではない。厨のほうから、そういうふうにして餅を切る音というか気配が伝わってきた。切っているのは、おそらく作者の妻だろう。その人は、何か深刻な「思ひ」を抱えているのだ。さきほど、聞かされたばかりである。いかし、しばらく静かだった厨から餅を切る音がしはじめた。そこで、作者がようやくほっとしている図だ。餅を切るという単純作業に入ったということは、その間だけでも「思ひ」は遠のくはずだからである。でも、この「よろし」は作者自身の自己納得なのであって、切っている当人の心持ちは「よろし」かどうかはわからない。こうした自己納得は日常的によく起きる心象で、こんな気持ちを繰り返し育てながら、誰もが生きている。大正六年の作。冬の句だろうが、とりあえず無季句に分類しておく。短詩人連盟刊『河東碧梧桐全集・第一巻』(2001)所収。(清水哲男)




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