無一文で無銭飲食24時間、牛すじ煮込みや日本酒10合。笑えないなあ。(哲




2009ソスN1ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1812009

 春を待つ文を遣らねば文は来ず

                           上津原太希子

語は「春を待つ」。春を待ちわびるというのですから、依然、寒い日々をすごしているわけです。出勤の朝、ぬくぬくとした布団の中からいつまでも出られないのは、仕事のつらさのせいなのか、それとも部屋の寒さのせいなのか。どちらにしても片方だけでも早くとりのぞいてもらいたいものです。句の構造は明解です。「春を待つ」の「待つ」から、便りを待つせつない思いに発想をつなげています。作者が便りを待つ相手は、思いを寄せている異性なのでしょうか。ほんとは自分を思ってほしい、その確証が少しでもほしい。それでもやってこない手紙に、さらに思いはつのってゆきます。待っても来ない便りに、仕方なくこちらから思いを届けるしかないという状態のようです。たいていの恋愛には、双方の思いの深さに差があるもので、なかなかその差は埋まらないものです。昨今は手紙よりも、携帯電話のメールが使われるようになりました。こちらは手紙よりもずっと利便性がよく、しかしそのためにさらに思いは深みにはまる危険性があります。メールを送れば相手からの返事をひたすら待つことになり、返事が来たら来たで、すぐにその返事を送りたくなる。苦しみは永遠に続く、というわけです。恋愛に不慣れな方は、携帯メールには特にご注意を。『角川 俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


January 1712009

 冬満月枯野の色をして上がる

                           菊田一平

週の金曜日、東京に初雪という予報。結局少しみぞれが落ちただけだった。少しの雪でも東京はあれこれ混乱する。一日外出していたのでほっとしたような、やや残念で物足りないような気分のまま夜に。すっかり雨もあがった空に、十四日の月がくっきりとあり、雫のようなその月を見ながら、掲出句を思い出していた。枯野は荒漠としているけれど、日が当たると、突き抜けたようなからりとした明るさを持つ。凩に洗われた凍て月のしんとした光には、枯野本来のイメージも重ね合わせることができるが、どちらかといえばぱっと目に入る明るさが脳裏に浮かんだのではないか、それも瞬時に。〈城山に城がぽつんと雪の果〉〈煉瓦より寒き首出し煉瓦積む〉など、目の前にあるさまざまな景色を、ぐっとつかんで詠むこの作者なら、枯野の色、という表現にも、凝った理屈は無いに違いない、と思いつつ、細りゆく月を見上げた一週間だった。『百物語』(2007)所収。(今井肖子)


January 1612009

 東山三十六峰懐手

                           西野文代

文字の句である。句の表記について漢字にするか、ひらがなにするかはときどき迷うところ。例えば、桜と書くか、さくらと書くか。(もちろん櫻と書く選択もあろうが)ひらがなにするとやわらかい感じになる。あるいはさくらのはなびらの質感が出ると思われる方も居るかも知れない。一方で、桜と書くと一字であるために視覚的に締って見える。さくらは拡散。桜は凝固である。俳句は散文や散文的な短歌に対し凝固の詩であるとみることもできる。一個の塊りのような爆弾のような。この名詞をどうしてひらがなにしたのですかと尋ねると、あまり漢字が多くて一句がごつごつするのでと言われる作者もいる。僕なら凝固、凝集の効果の方をとる。この句、だんだん俯瞰してゆくと一行がやがて一個の点にみえてくるだろう。俳句表現が一個の●になるような表記。俳句性の極致。別冊俳句『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)




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