川上憲伸投手が3年契約20億5000万円でブレーブスに。不況ってどこの話?(哲




2009ソスN1ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1512009

 女正月眉間に鳥の影落つる

                           飯島晴子

らく今日の日を「成人の日」として馴染んでいたが、それも昔のこと、ハッピーマンデーの導入で「成人の日」は第2月曜日と相成り、休日でない15日は未だに居心地が悪い。もっとむかしは小正月を女正月と呼び祝っていたようだが、私にとっては死語に近い。歳時記を読むと「十四日の夜や女の年取りと呼んで、男が女の食事を全部作ることもあり、また十五日の昼夜に女だけ酒盛りをする地方もある」と書いてある。(平井照敏編「新歳時記」より)要するに正月に忙しかった女が家族や男の世話をせずに、大手を振って出かけられる日。というわけだ。掲句をみると、眉間に落ちる鳥の影は眉をひそめた女の顔も連想させる。家事を置いて出かけることにどこか後ろ暗さが伴うのだろうか。今はわざわざ旦那の許可を得なくとも奥方達はさっさと何処へでも出かけてゆく。昭和30年生まれの私にしてこの馴染みのなさであるから、女と男の性差にもとづいた季語などはますます遠くなることだろう。作者にとって思い入れのある季語なのか、いくつか作例があるが、いずれもどこか翳りを宿しているように思う。「大根葉の青さゆゆしき女正月」「石鹸の荒き日影や女正月」「俳句研究別冊」『飯島晴子読本』(2001)所収。(三宅やよい)


January 1412009

 サラリーマン寒いね東スポ大切に

                           清水哲男

年からの世界的な不景気のことを、新年早々からくり返したくもない。けれどもサラリーマンに限らず、自営、新卒の人たちも含めて、このところのニッポンの寒さは一段と厳しい。何年も前に作られた哲男の句がピッタリするような世の中に相成りました。もっとも景気の良し悪しにかかわらず、通勤するサラリーマンがスポーツ紙に見入っている図は、どこかしら寒々として見える。私もサラリーマン時代には、電車のなかや昼休みの喫茶店でよく「東スポ」や「スポニチ」を広げて読んでいた。売らんかなのオーバーでバカでかい見出し文字や大胆な報道が、サラリーマンの鬱屈をしばし晴らしてくれる効果があった。掲出句の場合、いきなり「サラリーマン」ときて「寒いね」の受けがピシリと決まっている。せつなくもやさしく同病(?)相憐れんでいるのかもしれない。この場合、冬の「寒さ」ばかりではあるまい。かつて「♪サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ・・・・」とも歌われたけれど、私の経験から言えば気楽な反面、憐れな稼業でもあることは骨身にしみている。おそらく若いサラリーマンであろう。広げている新聞が日経でも朝日でもなく、東スポであるところが哀しくもうれしいではないか。若いうちから日経新聞(恨みはございませんが)に真剣に見入っているようでは、なんとも・・・・。下五の「大切に」に作者の毒を含んだやさしい心がこめられている。憐れというよりもユーモラスで暖かい響きが残された。『打つや太鼓』(2003)所収。(八木忠栄)


January 1312009

 サーカスの去りたる轍氷りけり

                           日原 傳

郷の静岡には毎年お正月にサーカスが来ていた。「象がいるから雪の降らない静岡にいるんだ」などと、勝手に思い込んでいた節もあるので実際毎年必ず来ていたのかどうか定かではないが、サーカスのテントは見るたび寒風のなかにあった。冬休みが終わり、三学期が始まり、学校の行き帰りに大きなテントを目にしていたが、実際に連れて行ってもらったかどうかは曖昧だ。さらにトラックの行列や設営のあれこれは見ているのに、引き上げるトラックを見かけた記憶はなく、いつもある日突然拭ったような空間がごろり放り出されるように広がって、ああ、いなくなったのだ、と思う。掲句はさまざまな年代がサーカスに抱く、それぞれの複雑な思いを幾筋もの轍に込めている。そしてわたしも、どうして「行きたい」と言えなかったのだろう、と大きな空地になってから思うのだった。〈花の名を魚に与へてあたたかし〉〈伝言を巫女は菊師にささやきぬ〉『此君』(2008)所収。書名「此君(しくん)」は竹の異称。(土肥あき子)




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