「チョコビール」なるものがあるそうな。まったく知らなかった。不覚也。(哲




2009ソスN1ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1212009

 成人の日ひかる唇イエスと言う

                           山口可久美

者自身の「成人の日」ではないだろう。我が子の式典に参列したのか、あるいは役目上での出席か。「イエス」はおそらく、新成人の若者がこの日の誓いの言葉か何かにいっせいに和した様子だと思われる。「ひかる唇」が効いている。べつに唇がひかって見えたわけではないけれど、そのように感じられたということだ。つまり「ひかる唇」という表現には、作者の若さへの憧憬を秘められているのだ。異口同音に「イエス」と言える若さの素朴は、作者が失って久しいものなのだろう。若いって、いいなあ……。私なども年齢を重ねるにつれて、この思いが強くなってきた。しかし一方で、自分が若かった頃を思い出すと、そう簡単に「イエス」などとは言えなくて、いつも「ノー」が先行していたのだった。自宅から歩いて五分で行ける公民館で催された式典にも、意識的に欠席した。でもそんな若い私を見ていた年配の人がいたとしたら、やはり私の若さを眩しく感じたには違いない。人生は順繰りだ。いまは素直に、自信の若さの生意気を懐しいなと思えるようになった。『現代俳句歳時記・冬 新年』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


January 1112009

 ポケットの底に届きし初電話

                           酒井秀次

語は「初電話」、その年に初めて電話で交わす会話を意味しています。すでに新年も11日を過ぎてしまい、今頃初電話でもないだろうと言われそうですが、かくいうわたしは、友人の少なさのせいか、会社の内線以外の電話を今年はまだしていません。年初の電話ということですから、多くは、今年一年の変わらぬ友情を約するためのものと思われます。電話がポケットの底に届いたということは、携帯電話をポケットの中にでも入れていたのでしょう。「底に届く」という言葉は、どこか、郵便受けの底に小さな落下音をたてて落ちてきた封書を連想させます。まさか、電話の届いてくる音が聞こえてくるわけもなく、届くときにはいきなり着信音が鳴り出すだけのものです。それでもこの句を読んでいると、願いを込めてはるばる上空を飛んできた電波が、その人までようやくたどり着き、ポケットの中にストンと落ちてゆく音まで聞こえてきそうです。落ちてきたものは、年初の型どおりの挨拶だけではなく、受け取る人の気持ちを晴れやかな方向へ向けさせるような内容であってくれと、おせっかいながらも願わないではいられません。『角川 俳句大歳時記 新年』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


January 1012009

 かまくらに莨火ひとつ息づけり

                           横山房子

まくらは、元来小正月(旧正月十五日)に行われたもの。現在は二月十五、十六日に秋田県横手市で行われる行事として名高い。もとは「鳥追(とりおい)」に由来し、かまくらの名も、鳥追の唄の歌詞から来ているともいわれるが、だんだん雪室が主となり、雪室自体のことを、かまくらと呼ぶようになったようだ。この句は、そんなかまくらの中にぽっと見える、莨(たばこ)の火を詠んでいる。吸うと赤く燃え、口から離すと小さくなる莨の火。小さく鼓動するその火に感じられるのは、子供達のかまくら、という童話の世界でも、幻想的な美しさでもなく、人の息づかい、存在感だ。青白い雪明りの中、かまくらそのものにも生命があるように感じられたのだろう。あれこれ調べていると、出前かまくら、から、かまくらの作り方、まで。出前かまくらは、今日、十日から3日間、横浜八景島シーパラダイスで、とある。いろいろ考えるものだなあ、と。「新日本大歳時記 新年」(2000・講談社)所載。(今井肖子)




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