転んだ人を助け起こそうとして、一瞬躊躇。共倒れになりそうで。SIGH! (哲




2009ソスN1ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0712009

 七くさや袴の紐の片むすび

                           与謝蕪村

般に元旦から今日までが松の内。例外もあって、十五日までという地方もある。人日とも言う。七草とは、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。これら七種を粥にして食べれば万病を除く、とされるこの風習は平安朝に始まったという。蕪村の時代、ふだんは袴などはいたことのない男が、事改まって袴を着用したが、慣れないことと緊張とであわてて片結びにしてしまったらしい。結びなおす余裕もあらばこそ、そのまま七草の膳につかざるを得なかったのであろう。周囲の失笑を買ったとしても、正月のめでたさゆえに赦されたであろう。七草の祝膳・袴姿・片むすび――ほほえましい情景であり、蕪村らしいなごやかさがただよう句である。七草のことは知っていても、雪国の田舎育ちの私などは、きちんとした七草の祝膳はいまだに経験したことがない。ボリュームのある雑煮餅で結構。もともと雪国の正月に七草など入手できるわけがない。三ケ日の朝食に飽きもせず雑煮餅を食べて過ごしたあと、さすがにしばし餅を休み、「七日正月」とか何とか言って、余りものの大根や葱、豆腐、油揚、塩引きなどをぶちこんだ雑煮餅を食べる、そんな〈七草〉だった。江戸時代に七草を詠んだ句は多いと言われるけれど、蕪村が七草を詠んだ句は、この一句しか私は知らない。志太野坡の句に「七草や粧ひかけて切刻み」がある。『与謝蕪村集』(1979)所収。(八木忠栄)


January 0612009

 膝くづし草石蚕をすこし齧りけり

                           仲 栄司

日から仕事始めの方も多いなか、今さら正月料理を出すのも心苦しいが、一度紹介してみたかった「草石蚕(ちょろぎ)」をぜひ。実際に目にする機会は、黒豆とともに添えられたおせちのお重のなかでしかないと思われるシソ科イヌゴマ属の多年草の根の部分である。百合根のような風味なのだが、見た目は名前の通り、蚕というかグロテスクな幼虫のかたちをしており、しかも真っ赤に染められている。初対面ではひと齧りするのもおっかなびっくりという具合であろう。掲句では膝をくずしたあたりのタイミングも絶妙。一体甘いのやら酸っぱいのやら、果ては食べてもよいものなのかということまで含み、皆目見当のつかない物体なのである。ちょろぎがおせちに紛れ込んでいる理由のひとつにその名が「長老喜」と当て字されるおめでたい食べ物ということもあり、「せっかくなのだから食べてみたら」と再三勧められたのちおそるおそる伸ばした箸なのか、それとも興味津々の我慢の末、場がなごんだのを機会に「えいっ」と伸ばした箸なのかも気になるところ。愛すべき草石蚕の画像はこちら。『ダリの時計』(2008)所収。(土肥あき子)


January 0512009

 仕事始のスイッチ祷るが如く入る

                           啄 光影

事始め。この不況下だから、今日から通常業務とする会社が多いかもしれない。私が二十代のサラリーマンだった頃は、ずいぶん暢気なものだった。定時までに出勤はするが、朝一番に社長の年頭の挨拶があり、終わると酒が出た。仕事熱心な者は、それでもあちこちに新年の挨拶の電話をかけたり、年始回りをやったりしていたけれど、たいがいは飲みながらの雑談に興じたものだった。あとは三々五々と流れ解散である。なかにはこの状態を見越して計画的に欠勤する人もいたくらいだ。平井照敏によれば、昔は大工は鉋だけ研ぎ、農家は藁一束だけ打ち、きこりは鋸の目立てだけしたそうである。掲句はいつごろの句か知らないが、昔の句だとすると、工場の機械の点検だけの「仕事始め」と受け取れる。日頃調子の良くない機械なのだろう。明日からの本格的な仕事に備えて、正月明けくらいはちゃんと動いてくれよと、祷(いの)るような思いでスイッチを入れている図だ。そしておそらく、試運転は成功だった。安堵した作者の顔が見えるようだ。今日は、同じような思いで会社のパソコンのスイッチを入れる人も、きっといるはずである。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)




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