我が部屋は昨日初暖房。今日からまた少し暖かくなるようで、暖房も不要か。(哲




2008ソスN11ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 21112008

 数へ日や数へなほして誤たず

                           能村登四郎

句が老年の芸だという説に一理ありと思うときはこういう句を見たとき。年も押し詰まったころ、残りの日々を数える。そんな句は山ほどある。そもそもそれが季語の本意だから。だが、「誤たず」(あやまたず)はほんとうに老年でないと出てこない表現だろう。花鳥諷詠を肯定する若い人の句で一番疑問に思うのは、素材のみならず感受性も老齢のそれに合わせていると思うとき。例えば「煤逃げ」とか「女正月」とかの季語をいかにもそれらしい情緒で四十、五十の人が詠うときだ。ナイトシアターで洋画の社会派サスペンスなんか観てる「自分」が、俳句を詠む段になるといきなり水戸黄門やありきたりのホームドラマや青春ドラマの情緒設定を描く。自分が観ても、感動もしない情緒を「俳句」となると肯定してしまうその神経がわからない。この句、「誤たず」には真実がある。同時代的と言っていいかどうか。「自分」の感性と、生きている時間の関わりに嘘がない。『芒種』(1999)所収。(今井 聖)


November 20112008

 林檎買ひくる妻わが街を拡大せり

                           磯貝碧蹄館

は「拡大せり」の部分である。そのまま読めば林檎を買ってきた妻が自分が住んでいる街を大きくするのだろうが、いったいどんな具合なのだろう。魚眼レンズで覗いたように巨大な妻と林檎がいびつに大きく句の全面へ張り出してくるようだ。しかし、今までつまらなく見えていた街を拡大するのは「妻」だけでなく妻が抱えている「林檎」の鮮烈な色と香りなのだろう。林檎はいつだって暗い世相や街を明るくしてきた。戦後の荒廃した街には並木路子の「リンゴの唄」が流れ、うちひしがれた人々を力づけたというし、北原白秋の「君かへす朝の敷石さくさくと雪は林檎の香のごとく降れ」の短歌などは、林檎の香りを雪と結びつけたモダンな抒情を描き出している。くすんだ現実から別次元の世界へ拡大してくれるのが、赤くつやつやとした林檎の力と言えないだろうか。この句にはそんな林檎を抱えて自分の元へ帰ってきてくれた妻への賛歌とともに詠まれているように思う。『磯貝碧蹄館集』(1981)所収。(三宅やよい)


November 19112008

 哲学も科学も寒き嚔哉

                           寺田寅彦

(くさめ)とは、さても厄介な漢字である。この漢字をさらりと書いてのける人は果たして何人いらっしゃるか? くさめ、くしゃみ、くっさめ、はくしゃみ・・・・いろいろな呼び方があって、思わずくさめをしたくなるようなにぎやかさである。嚏は通常、冷気が鼻の粘膜を刺激することで出るわけだが、それだけではなくアレルギー性の嚏もある。しかし、咳とちがって悲壮感とかやりきれなさはない。それはさておき、寅彦はご存知のように地球物理学者にして文学者。筆名は吉村冬彦。掲出句で「文学も科学も・・・・」としなかったのは、今さら「文学がお寒い」と詠ったところで始まらない、という気持ちがあったのか、と愚考するが、いかがなものか。「寒き嚏」ではなくて「寒き」で切れる、と解釈することもできそうだけれど、その場合、すっきり切ろうとするならば「寒し」だろう。ここでは哲学や科学を、嚏と同等なものと茶化したとらえ方をしているのだろう。「寒き嚏」とはくどいとか何とか、決まってとやこう云々する人もいるだろうが、そのあたりのことは十分承知したうえで、寅彦はこう言い切ったのではないか。哲学が寒いのも、科学が寒いのも、季候の次元の問題などではない。ノーベル科学賞受賞者が日本で今年四人も出たことを知ったら、寅彦は掲出句を修正しただろうか? 寅彦は第五高等学校時代(熊本)に、俳句を見てもらいに漱石先生を頻繁に訪ね、「ホトトギス」に掲載された。蛇足だが、寅彦一家を題材にしたマキノノゾミの芝居「フユヒコ」は大傑作。『俳句と地球物理』(1977)所収。(八木忠栄)




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