日頃クスリを飲まないせいか、飲んだら一発で風邪が治った。さて、出張校正。(哲




2008ソスN11ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 14112008

 尾へ抜けて寒鯉の身をはしる力

                           加藤楸邨

邨の東京文理科大学国文科時代の恩師能勢朝次が昭和三十年に逝去。氏は、楸邨のライフワークとなった芭蕉研究の師であり「寒雷」創刊号にも芭蕉論を寄稿している。前書きに「能勢朝次先生永逝 三句」とあるうちの一句。この句だけを見たら、追悼の句と思う読者がどれほどいようか。およそ追悼句というものは、渡り鳥だの露だの落花だののはかないイメージを持つ花鳥風月に故人への思いを託して詠うというのが古来より今日までの定番になっているからだ。しかし考えてみれば故人と、故人の死を悲しむ者とのかけがえのない一対一の関係と思いを定番の象徴を用いて納得しうるものか。黒い太い寒鯉の胴をぐいとちからが抜けていく。大いなるエネルギーの塊りが今鯉を離れたのだ。こういう時はこう詠むべきだとの因習、慣習を排して、一から詩形の広さを測り、そのときその瞬間の自分の実感を打ちつける。楸邨の俳句に対する考え方の原点がここにも見られる。『まぼろしの鹿』(1967)所収。(今井 聖)


November 13112008

 正午すでに暮色の都浮寝鳥

                           田中裕明

京の夕暮れは早い。この地にずっと住んでいる人には違和感のあるセリフかもしれないが、鹿児島、山口、大阪、と移り住んできた身には4時を過ぎればたちまち日が落ちてしまう東のあっけない暮れ方は何ともさびしい。体感だけでなく、この時期の日の入りを調べてみると、東京は16時38分、大阪は16時57分、鹿児島は17時22分と40分以上の差がある。この都では3時を過ぎればもう日が傾きはじめる。関西に住み馴れた作者にとっても、たまに訪れる東京の日暮れの早さがとりわけさみしく思えたのかもしれない。この俳人の鋭い感受性は、太陽が天辺にある華やかな都会の真昼にはや夕暮れの気配を感じとっている。その物悲しい心持ちがおのが首をふところに差し入れ、波に漂いながら眠る水鳥に託されているようだ。すべてがはぎとられてゆく冬は自然の実相がこころにせまってくるし、自分の内側にある不安をのぞきこむ気分になる。この句を読んで、頼りなく感じていた日暮れの早さが、自分の人生の残り時間を映し出しているような、心持になってしまった。『夜の客人』(2005)所収。(三宅やよい)


November 12112008

 冬隣裸の柿のをかしさよ

                           坪内逍遥

は急ぎあしで深まり、もう冬はすぐそこ。葉っぱもほとんど落ち尽くした木に、まだ残っている柿の実の姿であろう。色も変わってしまって今にも落ちそうである。柿の実は当然裸であるわけだが、この場合、あえて「裸」と言いたいくらいに寒々とした眺めなのである。たまたまとり残されrた柿は、特に落ちたいわけでも残りたいわけでもなかろうが、どこやら未練たっぷり枝にしがみついているようで、なるほど、可笑しいと言えば可笑しい裸んぼの風情である。およそ明治の文豪らしからぬ着眼が、可笑しく感じられる。ここで「あはれ」や「さびしさ」と表現してしまったのでは月並俳句になってしまう。「をかしさよ」はさすがである。逍遥は六十歳を過ぎてから短歌とともに、俳句を始めたのだという。したがってなまなましい野心もなく、折にふれての感懐を詠んだ句が多い。俳句は眦(まなじり)を決するというよりも、それでいいのだ、とも言える。逍遥には「そそり立つ裸の柿や冬の月」という句もある。「そそり立つ」と、柿の孤高を映した表現がいかにも可笑しい。逍遥は「裸の柿」に寒々とした可笑しさと同時に、愛しさも感じていたのではあるまいか。『歌・俳集』(1955)所収。(八木忠栄)




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