筑紫哲也逝く。会えば言葉を交わすくらいの知り合いだった。合掌。(哲




2008ソスN11ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 08112008

 二の酉の風の匂ひと思ひけり

                           佐藤若菜

年一の酉は、朝のテレビのニュースにもなる、今年は十一月五日。二の酉が十七日、三の酉まであって二十九日、そして一の酉と二の酉の間に立冬。風がかおるといえば、緑の頃のすがすがしさをいう薫風だが、この句は二の酉の頃の風、冬を実感し始める風だ。冬の匂いというと、子供の頃使っていた、ブルーフレームという石油ストーブの匂いを思い出す。今はストーブは使っていないが、少し前まで近所にあったラーメン屋の前を通ると、真夏でもなぜか灯油の匂いがして、炎天下汗をふきながら、そのたびにふと冬を思い出した。匂いの記憶というのも人それぞれだろうなと思いながら句集を読んでいたら〈三月の森の匂ひをまとひ来し〉。二の酉の風の匂ひ、三月の森の匂ひ。その具体的な叙し方が、匂いの記憶を呼び起こし、読み手の中に季感をもたらしてゆく。『鳥のくる日』(2001)所収。(今井肖子)


November 07112008

 月の庭子の寝しあとの子守唄

                           上村占魚

人公は、母であり妻である女性ととるのがふつうだろう。庭で子守唄を唄っている。背中に子がいなければ庭に出る理由が希薄なので、これは子守のときの情景である。子は首を垂れてすっかり寝落ちているのに、母はそれに気づいていても唄をやめない。寝てしまったあとも続いている子守唄は母というものの優しさの象徴だ。月、庭、子、寝、子守唄。素材としての組み合わせを考えると、どうみても陳腐にしか仕上がらないようなイメージの中で、「寝しあとの」でちゃんと「作品」に仕上げてくるのは、技術もあるが、従来の情緒のなぞりだけでは詩にならぬとの思いがあるからだ。無条件な愛。過剰なほど溢れ出る愛。この句のテーマは「母」あるいは「母の愛」。季題「月」は背景としての小道具。『鮎』(1992)所収。(今井 聖)


November 06112008

 立冬のクロワッサンとゆでたまご

                           星野麥丘人

ロワッサン、と聞くと私などは長年親しんだ女性雑誌の名前が思い浮かぶ。ちょっと小粋なパンの名前が醸し出すおしゃれなイメージに期待して命名されたのだろう。確かにこのパンの名前にはアンパンやメロンパンとはひと味違うよそいきの雰囲気がある。掲句はもちろん三日月形のパンそのものだろうが、このクロワッサンはおいしそうだ。かさこそ音をたてる落葉道を散歩していると、店先からパンを焼く香ばしい匂いが流れてくる。思わず買ってしまったパンのぬくみを紙袋に感じつつ帰宅。濃くいれた熱いコーヒーにゆで玉子を添えて朝の食卓を囲む。そんなシーンを思い描いた。パリパリと軽いクロワッサンの感触とつるりと光るゆでたまごの取り合わせも素敵だ。一見何の技巧もなく見えるが、これだけの名詞を並べるだけで立冬の朝の気分をいきいき感じさせている。この句集には「立冬の水族館の大なまず」(「なまず」は魚偏に夷の表記)などの楽しい句もあって、気負いなく寒い冬を受け入れようとする作者の自在な心持が感じられる。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)




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