阪神ファンからも星野SDにブーイング。弱り目にたたり目とは、このこと。(哲




2008ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24102008

 月に脱ぐシャツの農薬くさきかな

                           本宮哲郎

くさい、汗くさい、は労働のイメージの定番。花の匂い、草の匂いは花鳥諷詠の定番。五感のひとつ嗅覚は、他の四つの感覚と並んで、対象から「体」で直接受けとる感動の核である。「農薬くさき」はリアルの中心。ここに「私」も「真実」も存する。この句の隣の頁には「稲架乾く匂ひが通夜の席にまで」がある。この句も嗅覚。「乾く匂ひ」が眼目。稲の匂いや稲架の匂いは言えても「乾く」が言えない。ここが非凡と平凡の岐れ道。もっとも後の句の通夜の席という設定を見れば、従来の俳句的情緒との融和の中での「乾く」。前の句は「月」との融和。わび、寂びや花鳥風月の従来の俳句観も大切にしつつ「私」も同時に押し出す作者の豪腕を思わせる。『日本海』(2000)所収。(今井 聖)


October 23102008

 省略がきいて明るい烏瓜

                           薮ノ内君代

ことに省略のきいたものは明るい輝きを持っている。俳句もしかり、さっぱりと片付けた座敷も。ところで秋になると見かける烏瓜だけど、あれはいったいどんな植物のなれの果てなのだろう。気になって調べてみると実とは似ても似つかない花の写真が出てきた。白い花弁の周りにふわふわのレースのような網がかかった美しい花。夏の薄暮に咲いて昼には散ってしまうという。「烏瓜の花は“花の骸骨”とでも云った感じのするものである。遠くから見る吉野紙のようでもありまた一抹の煙のようでもある。」と寺田寅彦が『烏瓜の花と蛾』で書いている。烏瓜というと、秋になって細い蔓のあちらこちらに明るい橙色を灯しているちょうちん型の実しかしらなかったので、そんな美しい経歴があろうとは思いもよらなかった。実があるということはそこの場所に花も咲いていたろうに、語らず、誇らず枯れ色の景色の中につるんと明るい実になってぶら下がっている。省略がきいているのはその形だけではなかったのね。と烏瓜に話しかけたい気分になった。『風のなぎさ』(2007)所収。(三宅やよい)


October 22102008

 刷毛おろす襟白粉やそぞろ寒

                           加藤 武

かにも演劇人らしい視線が感じられる。役者が楽屋で襟首に刷毛で白粉(おしろい)を塗っている。暑い時季ならともかく、そろそろ寒くなってきた頃の白粉は、一段と冷やかに白さを増して目に映っているにちがいない。他人が化粧している様子を目にしたというよりも、ここは襟白粉を塗っている自分の様子を、鏡のなかに見ているというふうにも解釈できる。鏡を通して見た“白さ”に“寒さ”を改めて意識した驚きがあり、また“寒さ”ゆえに一段と“白さ”を強く感じてもいるのだろう。幕があがる直前の楽屋における緊張感さえ伝わってくるようである。もっとも、加藤武という役者が白粉を塗っている図を想像すると、ちょっと・・・・(失礼)。生身の役者が刷毛の動きにつれて、次第に“板の上の人物”そのものに変貌してゆく時間が、句に刻みこまれている。東京やなぎ句会に途中から参加して三十数年、「芝居も俳句も自分には見えないが、人の芝居や句はじつによく見える」と述懐する。ハイ、誰しもまったくそうしたものなのであります。俳号は阿吽。他に「泥亀の真白に乾き秋暑し」「行く春やこの人昔の人ならず」などがある。どこかすっとぼけた味のある、大好きな役者である。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)




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