日ハムが歌藤達夫投手(30)らに戦力外通告。みんな天才的だったのに。(哲




2008ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03102008

 私忌いな世界忌の大夕焼

                           高橋睦郎

のボタンを押す権利を持ってる人が、自分の死後もこの現実世界が続くことをねたましく腹立たしく思い、自らの死の瞬間にボタンを押して世界を消滅させる。そうすれば私忌が世界忌になる。日曜の朝の子供向けドラマのような想定を、死ぬということがむしょうに怖かったころよく考えた。ドラマだとここでウルトラマンか仮面ライダーが現れ、その悪の支配者を倒して終わる。かくしてまた現実世界は平安を取り戻すのである。ここで作者が言うのは「認識」のことだ。知覚するがゆえに我が存する。自分が死ねばおのずから世界も消滅する。自分が死んだあと、自分にとっては存在しない「世界」を夕焼が照らす。これこそ「虚」の美しさだ。『別冊俳句・平成秀句選集』(2007)所載。(今井 聖)


October 02102008

 椎茸の見給うは我が和服かな

                           永田耕衣

思議な句だ。この椎茸はどこにある椎茸なのだろう。人工栽培のために木陰に並べられた椎や楢のほだ木のあちこちにむくむく生え出た椎茸なのか、それともお膳の上に甘辛く煮付けて出された椎茸なのか。丸太の椎茸なら和服を正面に見ているのかもしれないし、皿の中の椎茸なら見上げる視線なのかもしれない。どちらにしてもこの句の中心は椎茸と和服の関係で、椎茸が見ているのが和服を着た自分でなく、和服そのものという発想が面白い。しかもこれと対になって並んでいる句が、「椎茸を見給うは我が和服かな」と、助詞一字を変えるだけで主体と対象との関係を一瞬にして裏返しているのだから、更におかしさが増幅される。椎茸と和服の出会いをこんな風に俳句で創造できる自在な感性が素敵だ。そういえば耕衣翁はなまずが好きでよく句にしているが、椎茸のつるん、ぬめっとした感触はなまずの頭に似てはいないか。『永田耕衣句集』(2002)所収。(三宅やよい)


October 01102008

 秋風や案山子の骨の十文字

                           鈴木牧之

風と案山子で季重なりだが、案山子にウェイトが置かれているのは明らかゆえ、さほどこだわることはあるまい。「案山子」の語源は、もともと鳥獣の肉を焼き、その臭いを嗅がせて鳥を追い払ったところから「かがし」が正しいという(ところが、私のパソコンでは「かかし」でしか「案山子」に変換できない)。実った稲が刈り取られたあと、だだっ広い刈田に、間抜けな姿でまだ佇んでいる案山子の光景である。稲穂の金波のうねりに揺られるようにして立っている時期の案山子とはまるでちがって、くたびれて今やその一本足の足もとまですっかり見えてしまっている。なるほど案山子には骨のみあって肉はない。竹で組まれた腕と足を、「骨の十文字」とはお見事。寒々しく間抜けているくせに、どこかしら滑稽でさえある。昨今の日本の田園地帯では、もはや案山子の姿は見られなくなったのではないか。数年前に韓国の農村地帯で色どり豊かな案山子をいくつか見つけて驚いたことがある。それは実用というよりも、アート展示の一環だったようにも感じられた。案山子ののどかな役割はもはや終焉したと言っていいだろう。与謝蕪村は「水落ちて細脛高きかがしかな」と詠んでいて、こちらは滑稽味がさらにまさっている。牧之は越後塩沢の人で、縮(ちぢみ)の仲買いをしていて、雪国の名著『北越雪譜』『秋山記行』を著わした文雅の士であった。文政四年(1830)に自撰の『秋月庵発句集』が編まれた。「牧之」は俳号。『秋月庵発句集』(1983)所収。(八木忠栄)




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