赤い羽根募金。その昔霊友会による110万円横領事件があったのを思い出す。(哲




2008ソスN10ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 02102008

 椎茸の見給うは我が和服かな

                           永田耕衣

思議な句だ。この椎茸はどこにある椎茸なのだろう。人工栽培のために木陰に並べられた椎や楢のほだ木のあちこちにむくむく生え出た椎茸なのか、それともお膳の上に甘辛く煮付けて出された椎茸なのか。丸太の椎茸なら和服を正面に見ているのかもしれないし、皿の中の椎茸なら見上げる視線なのかもしれない。どちらにしてもこの句の中心は椎茸と和服の関係で、椎茸が見ているのが和服を着た自分でなく、和服そのものという発想が面白い。しかもこれと対になって並んでいる句が、「椎茸を見給うは我が和服かな」と、助詞一字を変えるだけで主体と対象との関係を一瞬にして裏返しているのだから、更におかしさが増幅される。椎茸と和服の出会いをこんな風に俳句で創造できる自在な感性が素敵だ。そういえば耕衣翁はなまずが好きでよく句にしているが、椎茸のつるん、ぬめっとした感触はなまずの頭に似てはいないか。『永田耕衣句集』(2002)所収。(三宅やよい)


October 01102008

 秋風や案山子の骨の十文字

                           鈴木牧之

風と案山子で季重なりだが、案山子にウェイトが置かれているのは明らかゆえ、さほどこだわることはあるまい。「案山子」の語源は、もともと鳥獣の肉を焼き、その臭いを嗅がせて鳥を追い払ったところから「かがし」が正しいという(ところが、私のパソコンでは「かかし」でしか「案山子」に変換できない)。実った稲が刈り取られたあと、だだっ広い刈田に、間抜けな姿でまだ佇んでいる案山子の光景である。稲穂の金波のうねりに揺られるようにして立っている時期の案山子とはまるでちがって、くたびれて今やその一本足の足もとまですっかり見えてしまっている。なるほど案山子には骨のみあって肉はない。竹で組まれた腕と足を、「骨の十文字」とはお見事。寒々しく間抜けているくせに、どこかしら滑稽でさえある。昨今の日本の田園地帯では、もはや案山子の姿は見られなくなったのではないか。数年前に韓国の農村地帯で色どり豊かな案山子をいくつか見つけて驚いたことがある。それは実用というよりも、アート展示の一環だったようにも感じられた。案山子ののどかな役割はもはや終焉したと言っていいだろう。与謝蕪村は「水落ちて細脛高きかがしかな」と詠んでいて、こちらは滑稽味がさらにまさっている。牧之は越後塩沢の人で、縮(ちぢみ)の仲買いをしていて、雪国の名著『北越雪譜』『秋山記行』を著わした文雅の士であった。文政四年(1830)に自撰の『秋月庵発句集』が編まれた。「牧之」は俳号。『秋月庵発句集』(1983)所収。(八木忠栄)


September 3092008

 人間は水のかたまり曼珠沙華

                           松尾隆信

体の化学成分比率は水分が60%、組織が40%であるという。新生児には80%だったという水分量を聞くと、大人になったことで失ってしまったさまざまな潤いが数字に表れているようにも思う。それでもやはり、人間の半分以上は水なのだ。考えたり、悩んだり、いらついたり、右往左往する水のかたまりを、作者はわずかに苦笑しつつ、愛おしく感じているのだと思う。そして曼珠沙華も人臭い花である。法華経に「摩訶曼珠沙華」として登場し、サンスクリット語で 「マカ」は「大きい」、「マンジュシャカ」は「赤い」を意味するありがたい花のはずなのだが、有毒であったり、鮮紅色が災いしたりで「死人花」「捨て子花」「幽霊花」など因果を強く感じさせる別名を持つ。さらに枝葉を許さぬ花の形が、だんだん人間の姿となって、かたまり咲く曼珠沙華が冠を載せた人の群れのように見えてくる。〈渚より先へは行けず赤とんぼ〉〈鯛焼の五匹と街を行きにけり〉『松の花』(2008)所収。(土肥あき子)




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