勝負事はうまくいかない。わかっちゃいるけど、ああプロ野球。(哲




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September 1292008

 星がおちないおちないとおもう秋の宿

                           金子兜太

がおちない、で一息入れて下につづく。山国秩父の夜空だ。鳥取の夜の浜辺で寝ころんで空を見上げているとゆっくり巡っている人工衛星が見えた。海外ではもっとすごいらしい。星がおちてきそう、というのは俗な比喩。秋の宿の「秋の」もむしろおおざっぱなな言い方。ナマの実感の旗を掲げ、俗とおおざっぱを破調の中でエネルギーに転じてぐいぐい押してくる。それが兜太の「俳諧」。加藤楸邨、一茶、山頭火らに共通するところだ。「季題というものは腐臭ぷんぷんたり」とかつて兜太は言った。それは季題にこびりついている古いロマンを本意本情と称して詠うことを揶揄した言葉。兜太の「秋」は洗いざらしの褌のような趣。講談社版『新日本大歳時記』(1999)所載。(今井 聖)


September 1192008

 天高しみんなが呼んで人違ひ

                           内田美紗

方になると雷鳴とともに大雨が降りだす油断のならない空模様が続いていた東京もようやくからりと乾いた青空が広がり始めた。そんなふうに空気が澄みわたって見晴らしのいいある日、駅の集合場所でなかなかやってこない一人を待ちわびている。「あっちからくるはずよ。」みなで同じ方向を眺めていると、遠くからやって来る人影が。背格好といい身なりといい、あの人に違いない。おのおのが手を振り、名前を連呼する。手を挙げて合図しているのに、近付いてくる人はつれなくも知らん顔。「こっちに気づいていないのよ。」確信を持った意見になおもみな声を張りあげ、大きく手を振る。やって来る人の顔がはっきり見える距離になって、人違いだったとわかる。ああ、恥ずかしい。それでもみんなと一緒だから、バツの悪さも救われる。(間違えられた人のほうがどんな顔ですれ違っていいんだか当惑気味かもしれないが)これが一人だったらどれだけカッコ悪いことか。でも大きな声を出して人違いしたのも行楽に浮き立つ気持ちと仲間がいたからこそ。これがどんより曇った天気で、一人だったら顔を合わすまでおとなしくしていたでしょうね。『魚眼石』(2004)所収。(三宅やよい)


September 1092008

 ブラジルに珈琲植ゑむ秋の風

                           萩原朔太郎

そらく俳人はこういう俳句は作らないのだろう。「詩人の俳句」と一言で片付けられてしまうのか? ブラジルへの移民が奨励され、胡椒や珈琲の栽培にたいへんな苦労を強いられた人たちがいたことはよく知られている。1908年、第一回の移民団は八百人近くだったという。今年六月に「移民百年祭」が実施された。四十年近く前、私の友人の弟が胸を張り、「ブラジルに日の丸を立ててくる!」と言い残してブラジルへ渡った。彼はその後日本に一度も里帰りすることなく、広大な胡椒園主として成功した。ところで、珈琲は秋に植えるものなのか。朔太郎にブラジルへ移民した知人がいて、その入植のご苦労を思いやって詠んだものとも考えられる。「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と詩でうたった朔太郎が、フランスよりもさらに遠いブラジルに思いを馳せているところが愉快。遠い国「ブラジル」と「珈琲」のとり合わせが、朔太郎らしいハイカラな響き生んでいる。そういえば、「珈琲店 酔月」というつらい詩が『氷島』に収められている。朔太郎の短歌四二三首を収めた自筆歌集『ソライロノハナ』が死後に発見されているが、俳句はどのくらい作ったかのか寡聞にして知らない。友人室生犀星に対して、朔太郎は「俳句は閑人や風流人の好む文学形式であって同時に老成者の愛する文学」である、と批判的に書いた。犀星は「俳句ほど若々しい文学は他にない」と反論した。朔太郎が五十歳を過ぎたときの句に「枯菊や日々にさめゆく憤り」がある。まさしく「老成者」の文学ではないか。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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