今日から夏休み。遠出はしないが、せめて仕事のことを忘れて過ごしたい。(哲




2008ソスN8ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1382008

 神宮の夕立去りて打撃戦

                           ねじめ正一

宮球場だから東京六大学野球でもいいわけだけれど、豪快な「打撃戦」であろうから、ここはプロ野球のナイターと受けとりたい。ヤクルト対阪神か巨人か。ドーム球場では味わえない、激しい夕立が去って幾分ひんやりしたグランド上で、さてプレー再開というわけである。選手たちが気をとり直し、生き返ったように、中断がウソだったように派手な打撃戦となる。夕立が両チームに喝を入れたのであろう。スタンドにも新たな気合が加わる。夕立であれ、停電であれ、思わぬアクシデントによる中断の後、試合内容が一変することがよくある。夕立に洗われた神宮の森も息を吹き返して、球場全体が盛りあがっているのだろう。その昔、神宮球場の試合が夕立で中断しているのに、後楽園球場ではまったく降っていないということが実際にあった。夕立は局地的である。ドーム球場では味わえなくなった“野の球”が、神宮では今もしっかりと生きているのはうれしい。長嶋茂雄ファンの正一は、「打撃戦」のバッター・ボックスに、現役時代の長嶋の姿を想定しているのかもしれない。掲出句は雑誌の句会で、正客として招かれた正一が投じたなかの一句。席上、角川春樹は「『夕立』を使った句の中でも類想がない。佳作だよ」と評している。ほかに「満月を四つに畳んで持ち帰る」「ちょん髷を咲かせてみたし豆の花」などに注目した。「en-taxi」22号(2008年6月)所載。(八木忠栄)


August 1282008

 山へゆき山をかへらぬ盆の唄

                           小原啄葉

仕事に行ったきり帰ってこない者を恋う歌なのだろうか。具体的な歌詞を知るために、まずは作者の出身である東北地方最古といわれる盆踊り唄「南部盆唄」から調べてみた。ところが、これがもうまったく不思議な唄だった。「南部盆唄」はまたの名を「なにゃとやら」と呼ばれ、「なにゃとやらなにゃとなされのなにゃとやら」と、文字にするのも困難を極めるこの呪文のような文句を、一晩中繰り返し唄い踊るのだった。しかし、元々盆唄とは歌詞は即興であることも多く、その抑揚そのものが土地へとしみ渡っているように思う。「なにゃとやら」と続くリズムを土地の神さまへ納めているのだろう。掲句の盆唄もまた、山を畏怖する土地に伝承されている唄と把握すればそれ以上知る必要はないのだ。抑揚のみの伝搬を思うと、今、やたらと耳につき、思わず口ずさんでいることすらあるメロディーがある。「崖の上のポニョ」。このメロディーもまた、やはりなにか信仰につながるような現代に粘り付くメロディーがあるように思い当たるのだった。〈草の中水流れゐる送り盆〉〈精霊舟沈みし闇へ闇流る〉〈あらくさに夕陽飛びつく二十日盆〉句集名『而今』は「今の一瞬」の意。道元禅師の「山水経」冒頭より採られたという。(2008)所収。(土肥あき子)


August 1182008

 家はみな杖にしら髪の墓参

                           松尾芭蕉

参はなにも盆に限ったことではないが、俳句では盆が供養月であることから秋の季語としてきた。芭蕉の死の年、元禄七年(1694年)の作である。句の情景は説明するまでもなかろうが、作者にしてみれば、一種愕然たる思いの果ての心情吐露と言ってよいだろう。芭蕉には兄と姉がおり、三人の妹がいた。が、兄の半左衛門には子がなくて妹を養女にしていたのだし、芭蕉にもなく、あとの姉妹の子も早逝したりして、このときの松尾家には若者はいなかったと思われる。残されて墓参に参加しているのは、年老いた兄弟姉妹だけである。それぞれが齢を重ねているのは当たり前の話だから、あらためてびっくりするはずもないのだけれど、しかし実際にこうしてみんなが墓の前に立っている姿を目撃すると、やはりあらためて愕然とするのであった。この句の「みな」の「杖」と「しら髪(が)」は老いの象徴物なのであって、白日の下にあってはその他の老いの諸相も細部に至るまで、あからさまにむき出しにされていたことだろう。松尾家、老いたり。朽ち果てるのも時間の問題だ。このときの芭蕉は体調不良だったはずだが、、猛暑のなか、かえって頭だけは煌々と冴えていたのかもしれない。矢島渚男は「高齢者家族の嘆きを描いて、これ以上の句はおそらく今後も出ないことであろう」(「梟」2008年8月号)と書いている。同感だ。(清水哲男)




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