東京地方は、今日あたりまでが気温のピークか。朝夕は少しずつ涼しく。(哲




2008ソスN8ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0482008

 まっすぐにきて炎天の鯨幕

                           大島得志

夏の葬儀は辛い。もう四十年も昔のことになるが、仕事仲間のカメラマンが交通事故で死んだ。ついその前日に、仕事の段取りを打ち合わせたばかりだった。そのときの彼はすこぶる上機嫌で、それもそのはず、長い間欲しかった車を中古ではあったが、ようやく手に入れたと言い、それに乗って撮影に行ってくからとはりきっていた。カメラマンは荷物が多いので、たしかに車はないよりもあったほうがよいだろう。そして、別れてから二十四時間経ったか経たないかのうちに訃報が入り、思わず電話をくれた相手に「ウソだろ」と問い返していた。しかし、それは現実だった。センターオーバーで他の車と衝突し、即死状態だったという。しかも運転席の彼の横に、彼はお母さんを乗せていた。親孝行も兼ねてのドライブだったのだ。幸い、母堂は一命をとりとめたということだったが、その後のことは知らない。三十歳にも満たない短い生涯だった。葬儀はめちゃくちゃに暑い日で、小さな都営住宅の自宅で行われたこともあり、私は黒い服のままほとんど炎天の道端に立ち尽くして出棺まで見送った。汗という汗はすべて出尽くしてしまい、襲ってくる眩暈に耐えての参列だった。恋人らしき若い女性が泣いていた様子以外、何も覚えていないのは、そんな猛暑のせいである。そういうこともあったので、この句は実感としてよくわかる。遠慮も逡巡もなく、葬儀の場に「まっすぐにきて鯨幕」に向かうとは、あまりの暑さに「鯨幕」の陰に救いを求めたいという心理が優先しての措辞だ。暑い日でなければ、おもむろに鯨幕の向こうに入っていくのだが、そんなに悠長に構えてはいられなかった作者の心情がよく出ている。『現代俳句歳時記・夏』(学習研究社・2004)所載。(清水哲男)


August 0382008

 平均台降りて夏果てとも違ふ

                           中原道夫

ういえば先日朝日新聞に、清水哲男さんが日本の詩歌はスポーツをきちんと扱っていないと書いていました。なるほどと思っているところに、この句と出会いました。平均台というと、なぜか女子のスポーツです。中学生のときに、体育館の中で、跳び箱の順番を待ちながら、女子が平均台の上で苦労している姿をぼんやりと見ていたものです。夏であれば、体育館の開け放たれた扉の外には、空高く入道雲が盛り上がっていたことでしょう。この句が詠んでいるのは、平均台の上での動きそのものではなく、演技が終わって後のほっとした瞬間です。中空から足を地に下ろす、その時の心情が、閉じられようとする季節に重ねて詠われています。季語は「夏果て」、夏の終わるのを惜しむ気持ちです。ただ、句は夏果てとも違ふと、締めくくっています。この否定は、競技に燃焼しつくせなかったことを表しているのでしょうか。あるいは、季節に取り残した大切なものが別にあるということでしょうか。身体だけではなく、句の結末も、あやうげに中空に浮かんでいるようです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 0282008

 涼しやとおもひ涼しとおもひけり

                           後藤夜半

し。暑い夏だからこそ、涼しさを感じることもまたひとしお、と歳時記にある。朝涼、夕涼、晩涼、夜涼から、風涼し、星涼し、灯涼し、鐘涼しなど、さまざまなものに、ひとときの涼しさを詠んだ句は多い。涼し、は、読むものにわかりやすく心地よい言葉であり、詠み手にとっても、使いやすく作りやすい。それにしてもこの句は、さまざまな小道具や場面設定がいっさい無い。暑さの中を来て木陰に入ったのか、あ、涼しい、とまず思う瞬間があり、それから深く息を吐きながら、やれやれ本当に涼しいな、と実感しているのだろう。その、短い時間の経過を、涼しや、と、涼し、で表現することで、そこに感じられるのはぎらぎらとした真夏であり、涼し、という季題の本質はそこにあるのかとも思えてくる。作られたのは昭和三十九年、東京オリンピックが開催された年の七月。炎天下、新幹線を始めさまざまな工事は最終段階、暑さと熱さでむせかえるような夏だったことだろう。『脚注シリーズ後藤夜半集』(1984)所収。(今井肖子)




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