この暑さにびくともしない高校球児たち。羨ましいような恐いような。(哲




2008ソスN7ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2472008

 ペコちゃんが友達だったころの夏

                           鈴木みのり

月も下旬になると街角に子供の姿が増え、長い夏休みを退屈に過ごしていた小学校の頃を思い出す。避暑や旅行へ連れて行ってもらえるわけもなく、読み飽きた本を何度も読み返すか、市民プールへ出かける以外時間のつぶしようのない毎日だった。テレビはあったが、寝っころがって好きな番組を見る贅沢が許されるはずもなく、一週間に一度見る「ポパイ」や「鉄腕アトム」を楽しみにしていた時代だ。特別な番組のコマーシャルはそれぞれ印象が深い。「鉄腕アトム」はマーブルチョコとシール。「ポパイ」はペコちゃん人形とパフェを食べる女の子が憧れの的だった。首振りペコちゃんの店で買ってきたケーキは五人兄妹が見つめる前で厳密に切り分けられ上から順に配られたものだった。その当時、お菓子屋かおもちゃ屋を店ごと買い占めるのが夢だった私もおとなになると、すっかりそうしたものに興味がなくなってしまった。ペコちゃんが友達だったころの夏。それは私にとっても懐かしい時だけど、二度と帰れない場所でもある。『ブラックホール』(2008)所収。(三宅やよい)


July 2372008

 どの子にも夕立の来る空地かな

                           村嶋正浩

どもの頃、野原や河原で遊んでいて、いきなり雷鳴とともに夕立に襲われて家へ逃げ帰った経験は誰にもあるにちがいない。そう、子どもたちは年中外で黒くなって遊んでいた。乾ききった田んぼ道をポツ、ポツ、ポツ、ザアーッと雨粒が背後から追い越してゆく。それを爪先で追いすがるようにして走って帰った記憶が、私には今も鮮明に残っている。空地でワイワイ遊んでいる子どもたちにとって、夕立に濡れるのはいやだが、同時に少々ずぶ濡れになってみたいという好奇心もちょっぴりあるのだ。遊んでいた子どもたちの声は、夕立によって一段と高くにぎやかになる。しかも、夕立は大きい子にも小さい子にも、分け隔てなく襲いかかる。まさしく「どの子」をも分け隔てなく夕立が包んでゆく情景を、作者はまず上五で見逃していない。どの子にも太陽光線が均一に降りそそぐように、夕立も彼らを均一に包んでしまう。あたりまえのことだが、そのことがどこかしらうれしい気持ちにもさせてくれる。気張ることなくたった十七文字のなかに、さりげない時間と空間がきちんととりこまれている素直な句。正浩は詩人だが、俳句歴も長い。ほかに「眉消して少年の病む金魚かな」「夕端居手足長きを惜しげなく」などくっきりとした夏の句がある。「澤」(2008年7月号)所載。(八木忠栄)


July 2272008

 宿題を持ちて花火の泊り客

                           半田順子

休みが始まり、平日の昼間の駅に子どもたちの姿がどっと見られるようになった。夏休みのイベントのなかでも、花火と外泊は絵日記に外すことのできない恰好の題材だ。わが家も掲句同様、わたしと弟とそれぞれの宿題を背負い、花火大会の前後を狙って祖父の家に滞在するのが夏休みの恒例行事だった。打上げ花火の夢のような絵柄が、どーんとお腹に響く迫力ある音とともに生み出されていくのを二階の窓から眺めていたことを思い出す。打上げ音が花火よりわずかに遅れて聞こえてくることの不思議に、光りと音の関係を何度聞かされても腑に落ちず、連発になると今のどーんはどの花火のどーんなのかと、見事な花火を前にだんだんと気もそぞろになっていくのは今も変わらない。そしていよいよ白い画用紙を前に、興奮さめやらぬままでかでかと原色の花火を描く。しかし花火を先に描いてしまうと、夜空の黒を塗り込むのがとても厄介になることも、毎年繰り返していた失敗だ。以前の読者アンケートに、このページを読んでいる小学生もわずかに存在するという結果が出ていたが、花火を描くときには「夜空から塗る」、これを愚かな先輩からのアドバイスとして覚えていてほしい。〈夏来ると浜の水栓掘り起す〉〈蝉穴の昏き歳月覗きをり〉『再見』(2008)所収。(土肥あき子)




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