気がつけば、北京五輪まであと三週間ほど。盛り上がりそうもないなあ。(哲




2008ソスN7ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1772008

 炎天より入り来し蝶のしづまらず

                           松村禎三

戸さえろくになかった昔、暑くなってくれば縁側のガラス戸を全開にして庭からの風を招き入れた。くらっとくる炎天の明るさに比べ、軒深く電気をつけない家の座敷は暗かった。白昼の家はひっそりと物音もせず、箪笥の向こう側や廊下の陰に誰かが潜んでいそうで、一人で留守番するのが怖かった。掲句の情景には覚えがある。蝶だけではない、スズメやカナブンなど、いろんな生き物が家の中に入ってきた。今まで自分が自由に振舞っていた世界とは明らかに異質の空間に迷い込んだことに、驚いているのは迷い込んだ生き物自身だろうが、いたずらに騒いで見当違いな場所へ身体と打ちつけるばかりで、なかなか外へ出ることが出来ない。暗い部屋に飛びこんできた蝶の動きを目で追っている作者。結核にかかり音楽家としての将来を一時断念するかたちで若くして療養所に入らなければならなかった彼は、音楽の師池内友次郎の導きで俳句をはじめた。希望にあふれた人生から一転、病臥療養の生活へ追い込まれた自身の焦燥感を行き場を失った蝶に重ねているのか、いつまでも静まらない蝶の羽ばたきを凝視している作者の視線を感じる。『松村禎三句集』(1977)所収。(三宅やよい)


July 1672008

 雲ひとつ浮かんで夜の乳房かな

                           浅井愼平

季句。季語はないけれども厳寒の冬ではなく、春あるいは夏の夜だろうと私には思われる。まだ薄あかるく感じられる夜空に、白い雲が動くともなくひとつふんわりと浮かんでいる。雲というものは人の顔にも、動物の姿などにも見てとれることがあって、それはそれでけっこう見飽きることがない。雲は動かないように見えていて、表情はそれとなく刻々に変化している。この句の場合、雲はふくよかな乳房のように愼平には感じられたのであろう。対象を見逃さない写真家の健康な想像力がはたらいている。遠い夜空に雲がひとつ浮かんでいて、さて、目の前には豊かな乳房があらわれている――という情景ととらえてもよいのかも知れない(このあたりの解釈は分かれそうな気がする)。そうだとしても、この句にいやらしさは微塵もない。夜空の雲を見あげる写真家の鋭いまなざしと、豊かな想像力が同時に印象深く感じられる。カメラのピントもこころのピントもぴたりと合っていて、確かなシャッターの音までもはっきりと聞こえてきそうである。「色のなき写真の中のレモンかな」という別の句にも、同様に写真家によるすっきりした構図といったものが無理なく感じられる。『夜の雲』(2007)所収。(八木忠栄)


July 1572008

 火曜日は原則としてプールの日

                           山本無蓋

日火曜日。「原則として」などといかめしく始まる斡旋に、わが火曜日に何ごとが起こるのかと身構えてみれば、ごくカジュアルに「プールに行く日」なのだという。作者が大真面目であればあるほど、とぼけたおかしみに吹き出しながら、ここは火曜日に発見があるのではないかと気づく。月曜日の憂鬱もなく、週末への期待にもほど遠く、一週間のなかでもっとも意味を持たれにくい曜日である。日曜日に市場に出かけ〜♪で始まるおなじみのロシア民謡『一週間』でも、月曜日にせっせと準備したお風呂に、火曜日はただ入るだけという気楽な設定である。まったく印象の薄い曜日だと納得していたが、最近「スーパーチューズデー」で一躍火曜日が注目された。アメリカ合衆国では選挙投票日が必ず火曜日に設定されている。これは19世紀半ばから続く慣習で、キリスト教では日曜日が安息日とされていることから、月曜日に投票場へと出発し、どんなに遠隔地からでも火曜日には到着しているあろうという、なんとも先のロシア民謡的ゆるやかな理由からなるものだった。ともあれ、火曜日は予定もなんとなく空いているような虚ろな曜日であることは間違いなく、掲句も心に固く決めておかないと突発的残業やら突発的飲み会などの優先順位についつい負けてしまうのだろうな。『歩く』(2008)所収。(土肥あき子)




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