蒸し暑い日がつづいています。トシでなくてもコタエるだろうなあ。(哲




2008ソスN7ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0572008

 紫陽花の浅黄のまゝの月夜かな

                           鈴木花蓑

黄色は、古くは「黄色の浅きを言へるなり」(『玉勝間』)ということだが、浅葱色とも書いて、薄い藍色を表すようになった。今が盛りの紫陽花の、あの水よりも水の色である滴る青は、生花の色というのが不思議な気さえしてくる。梅雨の晴れ間、月の光に紫陽花の毬が浮かんでいる。赤みがかった夏の月からとどく光が、ぼんやりと湿った庭全体を映し出して、山梔子の白ほどではないけれど、その青が闇に沈まずにいるのだろう。紫陽花と一緒になんとなく雨を待っている、しっとりとした夜である。初めてこの句を「ホトトギス雑詠撰集・夏の部」で読んだ時は、あさぎ、とひらがなになっていて、頭の中で、浅葱、と思ったのだったが、こうして、浅黄、となっていると、黄と月が微妙に呼び合って、ふとまだ色づく前の白っぽい色を薄い黄色と詠んだのかとも思った。が、じっと思い浮かべると、やはり紫陽花らしい青ではないかと思うのだった。代表句とされる〈大いなる春日の翼垂れてあり〉の句も印象深い。「新日本大歳時記・夏」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


July 0472008

 牛冷すホース一本暴れをり

                           小川軽舟

い頃、父に牛の品評会に連れて行ってもらった記憶がある。真黒な牛ばかりだったような。磨き込んだ牛の黒は独特、てらてらとして美しく輝く。農耕用の牛は泥だらけ。農作業のあと川や海に入れて体を冷す。牛の漫画をよく書いた谷岡ヤスジは一時売れに売れて、過労死のごとく早世してしまった。「オラオラオラ」や「鼻血ブー」が流行語になり、キャラクターとしては「バター犬」と並んで煙管をふかす牛「タロ」が一世を風靡した。牛の風貌はどことなくユーモアが漂う。牛を洗っているホースが暴れている。冷されている牛の方にではなくホースに焦点が当たっているところがこの句の新味である。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


July 0372008

 札幌の放送局や羽蟻の夜

                           星野立子

幌の放送局に羽蟻がいる。ふと目に留めたただそれだけのことが俳句になる秘密ってどこにあるのだろう。さりげなく何の仕掛けもないこうした俳句を見るたび不思議になる。作者が立子だから、という名前の効果もあるだろうけど、のびやかで風通しの良い句の持ち味はこの作者独自のものだ。むかし羽蟻が出ると家が崩れる、と聞き恐ろしくなった。たかだか蟻のくせに家を傾かすとは。家で見かけるのと同じ小さな羽蟻が遠く離れた札幌にいること、おまけにそこが近代的な機械を完備した冷え冷えとした放送局であるそのミスマッチがなんとも言えずおかしい。普段とは違う場所にいてもささやかな気づきをすらりと俳句に詠める力の抜きかげんはうらやましい限りである。新しいものを柔軟に受け入れる精神をモダンというなら、立子はいきいきと時代の素材を生かした句を作っていたように思う。『季寄せ』(1940・三省堂)所載。(三宅やよい)




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