洞爺湖サミット「低支持率首脳ずらり」(東京新聞)。ハハハと笑いたいが…。(哲




2008ソスN7ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0272008

 不機嫌にみな眠りをり夏の汽車

                           徳川夢声

ちろん観光などといったしゃれた旅ではない。夢声のことだから、仕事での旅で夜汽車に揺られているものと思われる。御一行はもはやお互いによく知った顔ぶれであって、特に珍しくもないし、もちろん気をつかう必要もない。仕事の疲れと夏の暑さゆえに、みなくたびれて無口になり、不機嫌な様子で目を閉じているのだろう。といって、本気で眠りに落ちているわけではあるまい。現在のような冷房車ならともかく、せいぜい扇風機がカタカタまわっている車内は、暑くてやりきれない。座席だって居心地良くはない。起きていてもつまらないから、無理に眠ろうとしてみるのだが、なかなか眠れそうにもない。句からは面々の不機嫌な様子が見てとれるのだけれど、どこかしら可笑しさも拭いきれないところが、この句の味わいである。作者も「やりきれんなあ」と内心で呟きながら、そこに少々の苦笑も禁じえない。快適な汽車の旅をただ満喫してはしゃいでいるようでは、詩にも俳句にもなろうはずがない。せいぜい今はやっているテレビの旅番組の、いい気なワン・シーンにしかならない。掲出句のような光景は、なかなかお目にかからないことになってしまった。♪今は山中、今は浜、今は鉄橋わたるぞと・・・・の歌が皮肉っぽく聴こえてくるようではないか。夢声には「青き葉のあまりに青し水中花」という涼しい夏の句もある。また2冊の句集『句日誌二十年』『雑記・雑俳二十五年』がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 0172008

 歩荷くる山を引き摺るやうに来る

                           加藤峰子

日富士山のお山開き。夏山登山がシーズンを迎える。歩荷(ぼっか)とは、ヒマラヤ登山のシェルパ族や、新田次郎の小説『強力(ごうりき)伝』で登場する荷物を背負って山を越えたり、山小屋へ物資を届けたりする職業である。現在ではヘリコプターが資材運搬の主流となり、歩荷は山岳部の学生や登山家がトレーニングを兼ねて行っているというが、以前は過酷な労働の最たるものだった。実在のモデルが存在する『強力伝』で、富士山の強力小宮正作が白馬岳山頂に運んだ方位盤は50貫目(187.5kg)とあり、馬でさえ荷を運ぶときの上限は30貫目(112.5kg)だったことを思うと、超人と呼べる肉体が必要な職業だろう。立山連峰で歩荷の経験のある舅に当時の思い出を聞くと、ぽつりと「一回に一升の弁当がなくなる」と言った。歩荷の経験が無口にさせたのか、無口でなければ歩荷は勤まらないのか定かではないが、口が重いこともこの職業に共通した大きな特徴であるように思われる。食べては歩く、これをひたすらに繰り返し、這うように進む。眼下に広がるすばらしい景色や、澄んだ空気とはまったく関係なく、道が続けば歩き、終われば目的地なのだ。掲句では上五の「くる」で職業人としての歩荷を描写し、さらに下五で繰り返す「来る」でその存在は徐々に大きくなって迫り、容易に声を掛けることさえためらわれる様子が感じられる。歩荷は山そのもの、まるで山に存在する動くこぶのような現象となって、作者の目の前をずっしりと通り過ぎて行ったのだろう。『ジェンダー論』(2008)所収。(土肥あき子)


June 3062008

 草刈奉仕団が帝国ホテルより

                           高千夏子

えっ。「草刈」と「帝国ホテル」とは、なんともそぐわない取り合わせだ。一瞬そう思ったけれど、ははあんと納得。これから草刈奉仕に出かける先は、間違いなく皇居だろう。皇居では常時、勤労奉仕希望者を募集している。仕事は除草,清掃,庭園作業などだそうだ。15名以上60名までの団体であれば、誰でも申し込むことができる。奉仕期間は連続した四日間だから、地方からの奉仕者は近辺に宿泊しなければならない。したがって、なかにはこんなふうに帝国ホテルに泊まる人たちがいても不思議ではない。奉仕ついでに東京見物もかねてとほとんど物見遊山気分なのである。それにしても、まさかみなさん手に手に草刈鎌を持っていたとは考えにくいから、いったいどんないでたちだったのかが気になる。普通に考えれば奉仕団と染め抜いた旗かたすきを携えていたと思われるが、違うかな。いずれにしても皇居奉仕と帝国ホテルとは、俳句的にはつき過ぎにはならないけれど、観念的にはえらくつき過ぎていて、にやりとさせられてしまった。『審版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます