拉致問題はどうなるのか。アメリカにおんぶにだっこの政府よ、何か言え。(哲




2008ソスN6ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2862008

 蚊遣香文脈一字にてゆらぐ

                           水内慶太

年ぶりだろう、金鳥の渦巻蚊取線香を買ってきた。真ん中の赤い鶏冠が立派な雄鳥と、青地に白い除虫菊の絵柄が懐かしい。緑の渦巻の中心を線香立てに差し込んで火をつける。蚊が落ちる位なのだから、人間にも害がないわけはないな、と思いながら鼻を近づけて煙を吸ってみる。記憶の中の香りより、やや燻し臭が強いような気がするが、うすい絹のひものように立ち上っては、ねじれからみ合いながら、夕暮れ時の重い空気に溶けてゆく煙のさまは変わらない。長方形に近い断面は、すーと四角いまま煙となり、そこから微妙な曲線を描いてゆく。作者は書き物をしていたのか、俳句を詠んでいたのか、考えることを中断して外に目をやった時、縁側の蚊取り線香が視野に入ったのだろうか。煙がゆらぐことと文脈がゆらぐことが近すぎる、と読むのではなく、蚊を遣る、という日本古来の心と、たとえば助詞ひとつでまったく違う顔を見せる日本語の奥深さが、静かな風景の中で響き合っている気がした。〈海の縁側さくら貝さくら貝〉〈穴を出て蜥蜴しばらく魚のかほ〉〈星祭るもつとも蒼き星に棲み〉など自在な句がちりばめられている句集『月の匣(はこ)』(2002)所収。(今井肖子)


June 2762008

 初夏の街角に立つ鹿のごと

                           小檜山繁子

つのは自分。恐る恐る周囲を確かめるように、きらきら輝く初夏の光の中に立つ。街も鹿も清新な気に満ちている。昭和六年生れの小檜山さんは、結核療養中二十四歳で加藤楸邨に師事。重症だったので療養所句会には車椅子で出席した。青春期の大半を療養所で送ったひとが、街角に立つ「自分」をどれほど喜びと不安に包まれた存在として見ているかがうかがわれる。言葉の印象としては角と鹿が、かど、つの、鹿という連想でつながる。一句表記の立姿も鹿の象徴のようにすっきりしている。別冊俳句「平成俳句選集」(2007)所載。(今井 聖)


June 2662008

 ほうたると息を合はせてゐる子かな

                           西野文代

い頃は高度成長で町中の川は汚れきっており、初めて蛍を見たのはかなり遅かった。真っ暗な道で青白く光るものが胸の辺りを横切ったときには、うわっとばかりにのけぞってしまった。一匹だけ飛んできた蛍は今まで見たどんな灯りにもない冷たい色を帯びていて都会育ちの私には少し不気味だった。掲句の子供はそんな私と違い蛍と馴染みのようだが、どんな場所で蛍と向き合っているのだろう。川の傍らの草に止まっているのを見つけたのか、それとも明りを消した部屋の蛍籠だろうか。「蛍」を「ほうたる」と少し間延びしたゆるやかな音を響かせることで、蛍にじっと見入っている子供がその光にあわせて深く息を吸っては、吐いている時間が伝わってくる。読み手も自分の息を「ほうたる」と、ゆっくりしたリズムに重ねてみることでその様子を実感をもって想像できる。テレビの音も車の音もしない、ただしんとした闇のなか光で語りかけてくる蛍との豊かな対話をこの子は味わっているのだろう。『ほんたうに』(1990)所収。(三宅やよい)




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