夏季講習のチラシ。これに出ると凄く学力がアップすると思ってたことも。(哲




2008ソスN6ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1762008

 標本へ夏蝶は水抜かれゆく

                           佐藤文香

虫が苦手なわたしは、掲句によって初めて蝶のHPで採取と収集の方法を知った。そこにはごく淡々と「蝶を採取したら網の中で人差し指と親指で蝶の胸を持ち、強く押すとすぐ死にます」とあり、続いて「基本的に昆虫類の標本は薬品処理する必要がありません。日陰で乾かせばすぐにできあがります」と書かれていた。こんな世界があったのだ。虫ピンというそのものズバリの名の針で胸を刺され、日陰でじっと乾いていく蝶の姿を思うと、やはり戦慄を覚えずにはいられない。掲句はこの処理の手順を「水抜かれ」のみで言い留めた。命、記憶、痛み、恐怖のすべてを切り捨て、唯一生の証しであった水分だけで全てを表現した。出来上がった美しい標本を眺めながら考えた。丸々太った芋虫から、蛹のなかで完全にパーツを入れ替え、全く別な肢体を得る蝶のことである。今までの劇的な変化を考えれば、水分をすっかり抜かれることくらい造作もないことで、永遠の命を得るために標本への道を、蝶が自ら選択しているのではないのかと。〈朝顔や硯の陸の水びたし〉〈へその緒を引かれしやうに鳥帰る〉『海藻標本』(2008)所収。(土肥あき子)


June 1662008

 タイガースご一行様黴の宿

                           山田弘子

っ、なんだなんだ、これは。「失敬な」と思うのは、むろんタイガース・ファンだ。いつごろの句かはわからないが、私はこの「黴(かび)の宿」を比喩と見る。つまり遠征中のタイガースが黴臭く冴えない宿に泊まっているのではなくて、弱かった頃のタイガースの成績の位置がなんだか黴の宿に宿泊しているみたいだと言うのだろう。万年最下位かビリから二番目。実際にどんな宿に泊まっても、そこもまた黴の宿みたいに思えてしまえる、そんな時期もありました。作者は関西の人ゆえ、たぶん阪神ファンだと思うが、あまりの不甲斐なさに可愛さあまって憎さが高じ、つい自嘲を込めた皮肉の一つも吐いてしまったというわけだ。今季のタイガースにとてもこんなことは言えないが、ここにきての三連敗はいただけない。こういう句を作られないように、明後日からの甲子園ではあんじょうたのんまっせ。虚子に一句あり。「此宿はのぞく日輪さへも黴び」。こんなに黴レベルの高い宿屋には、二度と泊まらないですみますように。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


June 1562008

 御手打の夫婦なりしを更衣

                           与謝蕪村

士言葉についての話題を、しばしば聞くことがあります。本も出ているようです。別の世界のようでいて、でもまったく違ったものとも思えない。地続きではあるけれども、不思議な位置にある世界です。いつもの慣れきった日常を新鮮に見つめなおす契機になるようにと、いまさらながら光をあてられてしまった言葉なのでしょう。まさか、「おぬし」とか「せっしゃ」と日々の会話で使うわけにもいかないでしょうが、その志や行いは、江戸しぐさに限らず、日々の行動に取り入れることの出来るものもあります。句の、「御手打(おてうち)」も、今は使われることのなくなった武士社会の言葉です。本当だったら許されることのなかった夫婦、というのですから、自然に思い浮かぶのは密通の罪でしょうか。隠れて情を通じ合っていた男と女が、何らかの理由によって「御手打」を許され、夫婦となって隠れ住んでいるもののようです。それでもかまわないという思いで結ばれた二人の気持ちが、どれほどに烈しいものを含んでいようとも、季節は皆と同じようにめぐってきます。夏になれば更衣(ころもがえ)もするでしょう。句の前半に燃え上がったはげしい情が、更衣一語によって、いっきに鎮められています。『日本の四季 旬の一句』(2002・講談社)所載。(松下育男)




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