忙中閑あり。国分寺の殿ヶ谷戸庭園へ。入園料65歳以上70円。老人ばっかり。(哲




2008ソスN6ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1662008

 タイガースご一行様黴の宿

                           山田弘子

っ、なんだなんだ、これは。「失敬な」と思うのは、むろんタイガース・ファンだ。いつごろの句かはわからないが、私はこの「黴(かび)の宿」を比喩と見る。つまり遠征中のタイガースが黴臭く冴えない宿に泊まっているのではなくて、弱かった頃のタイガースの成績の位置がなんだか黴の宿に宿泊しているみたいだと言うのだろう。万年最下位かビリから二番目。実際にどんな宿に泊まっても、そこもまた黴の宿みたいに思えてしまえる、そんな時期もありました。作者は関西の人ゆえ、たぶん阪神ファンだと思うが、あまりの不甲斐なさに可愛さあまって憎さが高じ、つい自嘲を込めた皮肉の一つも吐いてしまったというわけだ。今季のタイガースにとてもこんなことは言えないが、ここにきての三連敗はいただけない。こういう句を作られないように、明後日からの甲子園ではあんじょうたのんまっせ。虚子に一句あり。「此宿はのぞく日輪さへも黴び」。こんなに黴レベルの高い宿屋には、二度と泊まらないですみますように。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


June 1562008

 御手打の夫婦なりしを更衣

                           与謝蕪村

士言葉についての話題を、しばしば聞くことがあります。本も出ているようです。別の世界のようでいて、でもまったく違ったものとも思えない。地続きではあるけれども、不思議な位置にある世界です。いつもの慣れきった日常を新鮮に見つめなおす契機になるようにと、いまさらながら光をあてられてしまった言葉なのでしょう。まさか、「おぬし」とか「せっしゃ」と日々の会話で使うわけにもいかないでしょうが、その志や行いは、江戸しぐさに限らず、日々の行動に取り入れることの出来るものもあります。句の、「御手打(おてうち)」も、今は使われることのなくなった武士社会の言葉です。本当だったら許されることのなかった夫婦、というのですから、自然に思い浮かぶのは密通の罪でしょうか。隠れて情を通じ合っていた男と女が、何らかの理由によって「御手打」を許され、夫婦となって隠れ住んでいるもののようです。それでもかまわないという思いで結ばれた二人の気持ちが、どれほどに烈しいものを含んでいようとも、季節は皆と同じようにめぐってきます。夏になれば更衣(ころもがえ)もするでしょう。句の前半に燃え上がったはげしい情が、更衣一語によって、いっきに鎮められています。『日本の四季 旬の一句』(2002・講談社)所載。(松下育男)


June 1462008

 もの言はず香水賣子手を棚に

                           池内友次郎

田男に、〈香水の香ぞ鉄壁をなせりける〉の句がある。ドレスアップして汗ひとつかいていない美人。まとった香水の強い香りが、彼女をさらに近寄りがたい存在にしているのだろうか。昨今は、汗の匂いの気になる夏でも、そこまで強い香水の香りに遭遇することはほとんどないが、すれ違いざまに惹かれた香りの記憶がずっと残っていたりすることはある。この句は昭和十二年作、「銀座高島屋の中を歩き回った」時詠んだと自注がある。その頃の売り子、デパートガールは、今にも増して女性の人気職業だったというから、まだ二十代の友次郎、商品よりもデパートガールについ目が行きがちであったことだろう。客が香水の名前を告げると、黙って棚のその商品に手を伸ばす彼女。どこに何が置いてあるか熟知しており、迷う様子はない。友次郎は、彼女のきりっとした横顔に見惚れていたのかもしれない。そして、後ろにある棚に伸ばした二の腕の白さに、振り向きざまに見えた少しつんとした表情に、冷房とはまた違った涼しさを感じたのだろう。香水そのものを詠んでいるわけではないけれど、棚に手を伸ばすのは、やはり香水売り子がぴたっとくる。『米壽光来』(1987)所収。(今井肖子)




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