阪神もついでに巨人もめちゃ敗け。中日はお休み。内弁慶のセントラルかな。(哲




2008ソスN6ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0462008

 満山の青葉を截つて滝一つ

                           藤森成吉

書に「那智の滝」とある。滝にもいろいろな姿・風情があるけれど、那智の滝の一直線に長々と落ちるさまはみごとと言わざるを得ない。すぐそばでしぶきを浴びながら見あげてもよし、たとえば勝浦あたりまで離れて、糸ひくような滝を遠望するのも、また味わいがちがって楽しめる。新緑を過ぎて青葉が鬱蒼としげる山から、まさにその万緑をスパッと截り落とさんばかりの勢いがある。「青葉」「滝」の季重なり、などというケチくさい料簡など叩き落す勢いがここにはある。余計なことは言わずに、ただ「截つて」の一言で滝そのものの様子やロケーションを十二分に描き出して見せた。いつか勝浦から遠望したときの那智の滝の白い一筋が、静止画の傑作のようだったことが忘れられない。ドードーと滝壺に落ちる音が、彼方まで聞こえてくるようにさえ感じられた。「青葉を截つて」落ちる滝が、あたりに強烈な清涼感を広げている。ダイナミックななかにも、「滝一つ」と詠むことで一種の静けさを生み出していることも看過できない。よく似た句で「荒滝や満山の若葉皆震ふ」(夏目漱石)があるが、こちらは「荒」や「震ふ」など説明しすぎている。成吉には「部屋ごとに変はる瀬音や夏の山」という句もあるが、澄んでこまやかな聴力が生きている。左翼文壇で活躍した成吉は詩も俳句も作り、句集『山心』『蝉しぐれ』などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 0362008

 ばかてふ名の花逞しや能登荒磯

                           棚山波朗

キダメギクやジゴクノカマノフタなど、気の毒な名を持つ植物は多いが、作者の故郷能登では浜辺の植物ハマゴウ(浜栲)を「バカノハナ」と呼ぶそうだ。一時期を福井県三国に暮らした三好達治に『馬鹿の花』という詩があり「花の名を馬鹿の花よと/童べの問へばこたへし/紫の花」と始まることから、北陸一帯での呼称のようだ。ハマゴウは浜一面を這うように茂り、可憐な紫色の花を付ける。(「石川の植物」HP→ハマゴウ)花は香り高く、葉や実は生薬となり、また乾燥させた葉をいぶして蚊やりとして使用したりと、生活にもごく密着していたはずの植物が、どうしてこんな名前を持つことになったのだろう。さらに言えば、当地の方言で「ばか」を意味する言葉は「だら」を一般的に用いるということもあり、「ばか」という言葉そのものにもどことなく疎外された語感を伴う。掲句では、作者が哀れな名を持ちながら砂浜を一心に埋める花にけなげなたくましさを感じ、また険しい能登海岸の表情をひととき明るくする花の名が「ばか」であることに一抹の悲しみや、わずかな自嘲も含まれているように思う。命名の由来にはあるいは、灼けた砂の上に、誰も見ていないのに、馬鹿みたいにこんなに咲いて…、といういじらしさが込められているのかもしれない。『宝達』(2008)所収。(土肥あき子)


June 0262008

 口笛のさびしき玉蜀黍の花

                           中嶋憲武

語は「玉蜀黍(とうもろこし)の花」で夏。歳時記に載っているくらいだから、昔はポピュラーな花だったのだろうが、いまではめったに見ることがない。以前は都会でも、庭の塀添いなどに植えている家庭もよくあった。雄花と雌花とがあるけれど、この場合はいまごろ咲きはじめる雄花だろうか。茎のてっぺんに、まことに地味な放射状の花が開く。秋に実るのは雌花のほうである。句を読んで、少年時代を思い出した。我が家の芋畑やトマト畑の片側三畝くらいだったろうか、玉蜀黍を育てていて、その成長ぶりはいまでも思い出すことができる。他の野菜類に比べれば、抜群に背が高くなり、子供の背丈などはすぐに越えてしまう。けれども、なぜか生長の勢いというものがあまり感じられず、とても孤独な雰囲気を漂わせる植物なのだ。なんとなく申し訳なさそうに、肩をすぼめている感じ。花もまた同様であって、すみませんすみませんという感じ。この句の「さびしき」は「口笛」にも「玉蜀黍の花」にもかけられているが、作者が感傷的になっているのはむろんだとしても、それよりも玉蜀黍の存在感そのものが「さびしき」という形容にぴったりなので、私は立ち止まってしまったという次第。玉蜀黍をよく知る人でないと、こんな具合には詠めないと思った。「豆の木」(2008年4月・第12号)所載。(清水哲男)




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