なんだか梅雨っぽいなあ。ちなみに昨年の関東甲信越の梅雨入りは6月14日。(哲




2008ソスN5ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3152008

 叩きたる蠅の前世思ひけり

                           小松月尚

といえば、むしむしし始めた台所にどこからともなく現れて、そこにたかるんじゃない、というところにちゃっかり止まるので、子供の頃は、できた料理にたかりそうになる蠅を追い払うのもお手伝いのひとつだった。強い西日をうけてさらにぎとぎと光る蠅取り紙も、蚊取り線香の匂いや、色よく漬かった茄子のおしんこのつまみ食いなどとともに、夏の夕暮れ時の台所の思い出である。そんな蠅だが、最近はめっきり見かけなくなった。先日玄関先で久しぶりに遭遇、あらお久しぶりという気分だったが、昔は、とにかくバイ菌のかたまりだ、とばかり思いきり叩いた。同じように叩いてしまってから、ふとその前世を思っている作者である、真宗大谷派の僧であったと知ればうなずけるのだけれど。蠅の前世、という表現は少し滑稽味を帯びながら、作者の愛情深い視線と、飄々とした人柄を感じさせる。句集の虚子の前書きの中には「総てを抛(な)げ出してしまつて阿彌陀さまと二人でゐる此のお坊さんが好きであります。」という一文があり、その人となりを思う。『涅槃』(1951)所収。(今井肖子)


May 3052008

 五月雨や上野の山も見あきたり

                           正岡子規

治三十四年、死の前年の作。子規は根岸の庵から雨に煙る緑の上野の山を毎日のように見ていた。病臥の子規にとって「見あきたり」は実感だろうが、人間は晩年になると現世のさまざまの風景に対してそんな感慨をもつようになるのであろうか。「見るべきほどのことは見つ」は壇ノ浦で自害する前の平知盛の言葉。「春を病み松の根つ子も見あきたり」は西東三鬼の絶句。三鬼の中にこの子規の句への思いがあったのかどうか。この世を去るときは知盛のように達観できるのが理想だが、なかなかそうはいかない。子規も三鬼も「見あきたり」といいながら「見る」ことへの執着が感じられる。思えば子規が発見した「写生」は西洋画がヒントになったというのが定説だが、この「見る」ということが「生きる」ことと同義になる子規の境涯が大きな動機となっていることは否定できない。生きることは見ること。見ることの中に自己の瞬時瞬時の生を実感することが「写生」であった。『日本の詩歌3・中公文庫』(1975)所載。(今井 聖)


May 2952008

 おにいちゃんおこられながらバラ見てた

                           須田知子

々の門口に美しく咲き誇っていた薔薇も週末の雨でだいぶ散ってしまった。四季咲きの薔薇も多くなっているけど、やはり五月の薔薇が一番美しい。平仮名の表記と幼い口調に、小学生ぐらいの自分に引き戻された。そういえば昔はよく説教をされたっけ。けんかをしたとき、物を壊したとき、怖い顔で怒っている親の顔と正面から向き合っているのは気まずい。とは言え神妙な顔をしていないと、くどくどくどくど説教はいつまでも続く。子供ながらに視線の置き方が難しかった覚えがある。自分は悪くない。と、くやしい気持ちに涙をこらえて頑なに横を向き、関係ないものをじっと見詰めていたときもある。この男の子もきっとそんな気持ちでふと目に止まったバラを見ていたのだろう。それが、そのうちバラの美しさにひきつけられて、怒られていることは忘れてバラに見入っているのかもしれない。そんな兄の変化を少し離れたところからじっと見ている妹。単純なようでバラを中心に、少年の心の変化と家族の情景が鮮明に浮かび上がってくる句だと思う。『さあ現代俳句へ』(1997)所載。(三宅やよい)




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