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May 2252008

 魚屋に脚立などあり夕薄暑

                           小倉喜郎

や汗ばむ日中の暑さも遠のき、涼しさが予感できる初夏の夕暮れは気持ちがいい時間帯だ。一日の仕事を終え、伸びやかな気分で商店街をぶらぶら歩く作者の目にぬっと置かれた脚立が飛び込んでくる。その違和感が作者の足を止めさせる。と、同時に読者も立ち止まる。「どうして魚屋に脚立があるのだろう。」ただ、はっとさせるだけでは謎解きが終ったあと俳句の味が失せてしまうが、置かれている脚立にさして深い意味はないだろう。それでいてやけに気になるところがこの句の魅力だろう。その魅力を説明するのは難しいが、脚立から魚屋の様子を思い浮かべてみると、水でさっぱりと洗い流されたタイル張りの床や濡れた盤台が現れてくる。そこに立ち働いていたおじさんが消えて脚立が店番をしているようにも思えておかしい。ある一点にピントを絞った写真が前後の時間やまわりの光景を想像させるのと同様の働きをこの脚立が持っているのだろう。「アロハシャツ着てテレビ捨てにゆく」「自販機の運ばれている桐の花」などあくまでドライに物を描いているようで、「え、なぜ」という問いが読み手の想像力をかきたててくれる楽しさを持っている。『急がねば』(2004)所収。(三宅やよい)


March 0732013

 ぶつかって蝶が生まれる土俵かな

                           小倉喜郎

よいよ春場所が始まる。先場所は日馬富士が全勝優勝したが今場所はどうだろう。昔地方に住んでいて、毎日中入り前から相撲中継を見ていたときには一度本物の勝負を見てみたいものだと思っていた。東京にきてその気があればいつでも両国国技館へ行けるのになかなか腰が上がらない。実際見に行った人の話では張り切った力士の身体と身体のぶつかる音、組むうちにだんだん赤みを帯びてゆく肌の色など臨場感にあふれたものらしい。やっぱり何でもライブが一番。立ち会いのぶつかり合うその瞬間、火花ではなくひらひら紋白蝶など生まれる発想が奇想天外のようで説得力があるのは柔らかな力士の肉体がイメージとしてあるからか、など掲句を眺めながら考えている。『あおだもの木』(2012)所収。(三宅やよい)




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