れれっ、梅雨でもないのに気温が下がってきた。風邪に注意しましょう。(哲




2008ソスN5ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1152008

 薄紙にひかりをもらす牡丹かな

                           急 候

田宵曲は『古句を観る』の中で、この句について次のように解説しています。「牡丹に「ひかり」という強い形容詞を用いたのは、この時代の句として注目に値するけれども、薄紙を隔てて「ひかりをもらす」などは頗る弱い言葉で、華麗なる牡丹の姿に適せぬ憾(うらみ)がないでもない。」なるほど、これだけ自信たっぷりに解説されると、そのようなものかといったんは納得させられます。ただ、軟弱な感性を持ったわたしなどには、むしろ「ひかりをもらす」と、わざわざひらがなで書かれたこのやわらかな動きに、ぐっときてしまうのです。薄紙を通した光を描くとは、江戸期の叙情もすでに、微細な感性に充分触れていたようです。華麗さで「花の王」とまで言われている牡丹であるからこそ、その隣に「薄さ」「弱さ」を置けば、いっそうその気品が際立つというものです。いえ、内に弱さを秘めていない華麗さなど、ありえないのではないかとも思えるのです。句中の「ひかり」が、句を読むものの顔を、うすく照らすようです。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)


May 1052008

 ぼたん切て気のおとろひしゆふべ哉

                           与謝蕪村

村には牡丹の佳句が少なからずある。〈牡丹散て打重りぬ二三片〉をはじめとして〈金屏のかくやくとして牡丹かな〉〈閻王の口や牡丹を吐んとす〉など。幻想的な句も多い蕪村だが、牡丹の句の中でも、閻王の句などはまさにその部類だろう。桜の薄紅から新緑のまぶしさへ、淡色から原色へ移ってゆくこの季節、牡丹は初夏を鮮やかに彩る花である。それゆえ牡丹を詠んだ句は数限りなく存在し、また増え続けており、詠むのは容易ではないと思いながら詠む。先日今が見頃という近所の牡丹寺に行った。小さいながら手入れが行き届き、正門から二十メートルほどの石畳の両脇にびっしり、とりどりの牡丹が満開である。そして、朝露に濡れた大輪の牡丹と対峙するうちに、牡丹の放つ魔力のようなものに気圧され始めた。それは美しさを愛でるというのを通りこし、私が悪うございましたといった心持ちで、半ば逃れるように牡丹寺を後にしたのだった。掲出句、丹精こめた牡丹が咲き、その牡丹に、牡丹の放つ妖気に気持ちがとらわれ続けている。そんな一日を過ごして、思い切ってその牡丹を切る。そのとたんに、はりつめていた作者自身の気もゆるんでしまった、というのだろう。牡丹にはそんな力が確かにある。おとろひし、は、蕪村の造語ではないか(正しくは、おとろへし)と言われている。『與謝蕪村句集 全』(1991・永田書房)所載。(今井肖子)


May 0952008

 生れ月につづく花季それも過ぐ

                           野沢節子

季は、はなどきとルビがある。一九九五年に七五歳で亡くなられる三年前の作。自分の生れた月が来て、ひとつ歳を取り、つづいて桜の季節が来てそれも過ぎて行く。無常迅速の思いか。実作者としての立場から言えば、「それも」の難しさを思う。こんな短い詩形の中で一度出した名詞をさらに指示してみせそこに生じる重複感を逆に効果に転ずる技術。晩春の空気の気だるさにこの重複表現がぴったり合う。森澄雄の「妻がゐて夜長を言へりさう思ふ」の「さう思ふ」も同様。こんな「高度」な技術はその作者だけのもの。誰かが、「それも過ぐ」や「さう思ふ」を使えば剽窃の謗りをまぬがれないだろう。野澤節子は三月二三日に生まれ、四月九日に逝去。没後編まれた句集『駿河蘭』の帯には「野澤節子は花に生れ花に死んだ」とある。『駿河蘭』(1996)所収。(今井 聖)




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