そりゃあ、阪神だって敗ける時はこんなもん。予想通りに進む九連戦。(哲




2008ソスN5ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0952008

 生れ月につづく花季それも過ぐ

                           野沢節子

季は、はなどきとルビがある。一九九五年に七五歳で亡くなられる三年前の作。自分の生れた月が来て、ひとつ歳を取り、つづいて桜の季節が来てそれも過ぎて行く。無常迅速の思いか。実作者としての立場から言えば、「それも」の難しさを思う。こんな短い詩形の中で一度出した名詞をさらに指示してみせそこに生じる重複感を逆に効果に転ずる技術。晩春の空気の気だるさにこの重複表現がぴったり合う。森澄雄の「妻がゐて夜長を言へりさう思ふ」の「さう思ふ」も同様。こんな「高度」な技術はその作者だけのもの。誰かが、「それも過ぐ」や「さう思ふ」を使えば剽窃の謗りをまぬがれないだろう。野澤節子は三月二三日に生まれ、四月九日に逝去。没後編まれた句集『駿河蘭』の帯には「野澤節子は花に生れ花に死んだ」とある。『駿河蘭』(1996)所収。(今井 聖)


May 0852008

 今生のラジオの上のイボコロリ

                           中烏健二

が子供の頃ラジオは生活を彩る大事な電化製品だった。夕暮れ時の商店街のあちこちからは相撲や野球の中継が流れてきたし、中学になると深夜ラジオのポップな音楽やおしゃべりにうつつを抜かした。掲句のラジオは寝床で気軽に聞けるトランジスタラジオではなく、茶の間に置かれた旧式の箱型ラジオだろうか。ラジオの上にひょいと置かれたまま忘れられているクスリ類としては、常備薬として出番の多い「正露丸」や「メンソレータム」でなく、痛い魚の目やイボができたときだけ集中的に使う「イボコロリ」を選んだのは絶妙の選択と言っていい。ラジオの上に「イボコロリ」がある風景は、たとえその事実がなくとも、ああ、そうなんだよねぇ。と自分が住んでいた家に重ねて共感を呼び起こす説得力を持っている。たまたまそこに置いた家族の誰かがいなくなったとしても、片付けられずにそこにあるものがどの家庭にもあるだろう。埃をかぶったラジオもイボコロリも家族の視界にありながら半ば存在しないものとして、四季を通じてそこに在り続ける。些細で具体的なものに焦点を絞ることで、「今生」の生活の内部にありながら生活の外側で持続する時間を感じさせる無季句だと思った。「ぶるうまりん」(2007/11/25発行 第7号)所載。(三宅やよい)


May 0752008

 ふるさとの笹の香を咬むちまきかな

                           小杉天外

まき(粽)は端午の節句の頃に作る。関東では柏餅。笹の葉で巻いて蒸したモチ米または団子である。笹の葉で包むと日持ちがいいばかりでなく、笹の香がおいしさをいっそう引き立てる。天外は秋田県の生まれ。ふるさとから送られてきたちまきは、格別なごちそうというわけではないけれど、笹の香に遠いふるさとの香り、ふるさとの様子をしばししのんでいるのだろう。「笹の香」ゆえに「食べる」というよりも「咬(か)む」とアクティブに表現したあたりがポイント。その香を咬めば、ちまきの素朴なおいしさばかりでなく、すっかりご無沙汰しているふるさとの懐かしい人々や、土地のあれこれまでが思い出されるのだろう。かつて笹だんごは家々で作っていたから、私は子どもの頃、裏山へ笹を採りに行かされた。白いモチ米で作ったちまきの笹をむいて、黄粉(きなこ)を付けて食べた。それよりも子どもたちには、なかにアンコが入り草餅で包んだ笹だんごのほうがおいしかった。砂糖の入手が困難だった戦時中は、アンコのかわりに味噌をなかに入れていたっけ。あれには妙なおいしさがあった。食べることもさることながら、祖母や母に教わりながら、慣れない手付きでゆでた笹でくるみ、スゲで結わえる作業に加わるのが、ヘタクソなくせに楽しかった。「越後の笹だんご」は名物として、私のふるさとの駅やみやげもの店で盛んに蒸篭でふかしながら売られているけれど、見向きもしなくなってしまった。夏目漱石の「粽食ふ夜汽車や膳所(ぜぜ)の小商人(こあきうど)」という句も忘れがたい。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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