昨日は若干風邪気味ながら、持ち帰った会社仕事をしこしこと。今日は? (哲




2008ソスN5ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0452008

 ことごとく箱空にして春惜しむ

                           川村智香子

日は立夏、もう夏です。ということで本日は、春を惜しむ句です。季語「春惜しむ」は過ぎゆく春を惜しむこと、と歳時記にその意味が説明されています。さらに「惜しむ」とは、「あるよきものが今に失われてしまうことを知りながらいとおしむこと」とあります。なかなかきれいな説明です。下手な詩よりも、物事の緻密な説明文のほうが、よほど心に入ってきます。掲句を読んでまず思ったのは、「この箱は、なんの箱だろう」という疑問でした。季節の変わり目でもあり、服を入れるための箱の中身を入れ替えてでもいるのかと思いました。あるいはこの箱は、人の中にしまわれた、さまざまな感情の小箱かとも思われます。でも、そんなことを詮索してゆくよりも、与えられた語を、そのままに受けとる方がよいのかなと思います。「箱を空にする」という行為の中で、空(から)は空(そら)を連想させ、心の空(うつ)ろさをも思いおこさせてくれます。その空ろさが、行くものを惜しむ心持につながってゆきます。また、「ことごとく」の一語が、数多くのものに対面している気持ちのあせりや激しさを感じさせ、行くものを見送る悲しみにもつながっているようです。句全体が、春を失って、空っぽになった人の姿を、美しく思い浮かべさせてくれます。『角川俳句大歳時記』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


May 0352008

 一つづつ花の夜明けの花みづき

                           加藤楸邨

が人を惹きつける大きな理由は、下を向いて咲くからだ、と数日前テレビで誰かが言っていた。桜の花下に立った時、まさに花と対峙している心持ちになるのは、それもあるのだろうか。ふつう花というのは、太陽をもとめて空に向かって咲くのが一般的だという。花みずきは、萌えだした葉の間に、ひらひらとまさに空に向いて開く(実際の花は真ん中の緑の部分らしいが)。最寄り駅までの下り坂、花水木の並木道を十年以上ほぼ毎日歩いているが、新緑も紅葉も、赤い実も枯れ姿も、それぞれ趣があり、街路樹として四季折々楽しめる。でもやはり、真っ白な花が朝日をうけて咲き増えてゆく今頃が、最も明るく美しい。芽吹いてきたな、と思うと、花がちらほら見え、朝の日ざしに夏近い香りがし始めると、ほんとうに毎日輝きを増し、一本一本の表情がぐんぐん変わってゆく。この句を読んだ時、毎年目の当たりにしながらはっきりと言葉にし得なかった花みずきの本質が、はらっと目の前に表れたという気がした。特にこの一語が、というのではなく、五・七の十二音の確かさと詩情、一句から立ちのぼる香りが、まさに私の中にあった花みずきなのである。『俳句歳時記 第四版』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


May 0252008

 桃つぼむ幼稚園まで附きそひし

                           室生犀星

ぼむには窄む(すぼむ)という意味と、まったく逆の蕾をつけるという意味の二つがあるが、この句の場合は後者だろう。人はどこまで記憶を遡ることができるか。僕は四歳のときに幼稚園で石段から転げ落ちて頭に怪我をしたのがもっとも遠い記憶。両親は共稼ぎだったため、朝家から三百メートルほどのところにある幼稚園に一人で通わされた。協調性がなかった僕は幼稚園がいやでいやでたまらず母に抱きついては通園をしぶった。家を出たところで僕にしがみつかれた母は、しかたなく、通りすがりの女子高生に同行を頼んだ。僕はほとんど毎日見もしらぬ女子高生に手をひかれて幼稚園に到着した。犀星が付き添ったのは子どもか孫か。泣いてしがみつかれたためか、何かの用向きがあったか。あの犀星の異相とも言える風貌を思い浮かべると幼稚園までの風景が微笑ましい。折りしも春たけなわ。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(今井 聖)




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