暗いニュースばかり。何事もないかのように躑躅は咲きはじめたけれど。(哲




2008ソスN4ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2142008

 おおかたを削り取られて山笑う

                           ながいこうえん

の句を読んで、思い出した話がある。ある営業マンが取引先の社長と舟釣りに出かけた。日ごろから、おそろしくおべんちゃらの巧い男として知られていた。ところが、あいにくと舟には弱い。たちまち船酔いしてしまい、辛抱たまらずに嘔吐をはじめてしまった。しかし、彼はがんばった。「げほげほっ」とやったかと思うとすぐに立ち直り「さすがは社長、すごい腕前ですねえ」と言ったかと思うと、またもや「げほげほっ」。ついには顔面蒼白になりながらも、「げほげほっ、……さすが……シャチョーッ、うまいもんだ、……げほっ、シャチョー、オミゴト、げほっ……、ニッポンイチーッ、……げほげほっ」。実話である。「おおかた(大部分)」の精気を奪われても、なお必死におのれの本分を貫き通す根性は、掲句の山も同じことだろう。この山は、絶対に泣き笑いしているのだ。健気と言うのか、愚直と言うのか、読者はただ「ははは」と笑うだけではすませられない「笑い」が、ここにある。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


April 2042008

 おそく帰るや歯磨きコップに子の土筆

                           和知喜八

語はもちろん土筆。そういえば、土筆坊(つくしんぼ)と、なれなれしく呼ぶこともあるのでした。食用にもなるのでしょうが、私の記憶に残っているのは、子供の頃に、多摩川の土手に行ってひたすらに摘んだこと、あるいは掌に幾本も握ったまま走りまわったことです。もちろん大人になってからは、土筆を摘んだことも、握りしめたこともありません。日々のいそがしい生活の中に、このようなものが割り込む余地など、まったくありません。掲句に描かれているのも、私のような、残業続きの勤め人の日常なのでしょう。「おそく帰るや」と、字を余らせてもその疲れを表現したかったようです。深夜、駅で延々と行列を作って、やっと乗れたタクシーを降り、家にたどり着けば家族はすでに眠りに入っています。起こさないようにそっと扉をしめて、洗面所に向かいます。家に帰ってきたとはいえ、頭の中は依然として仕事のことで興奮しているのです。顔を洗ってさっぱりした目の前に、歯磨き用のコップがあるのはいつも通りとしても、コップから何かが顔をのぞかせているようです。目を凝らせば、土筆のあたまがちょこんとコップの中から出ています。そうか、子供たちは昨日土筆を摘んでいたのかと、話を聞かずとも、その日の子供の様子がまざまざと想像できます。のんびりとした遊びの想像に包まれて、お父さんはその夜、おだやかな眠りにはいってゆけたのです。『山本健吉俳句読本 第二巻俳句観賞歳時記』(1993・角川書店) 所載。(松下育男)


April 1942008

 春昼ややがてペン置く音のして

                           武原はん女

句の前に、小さく書かれている前書き。一句をなして作者の手を離れれば、句は読み手が自由に読めばよいのだが、前書きによって、作句の背景や心情がより伝わりやすい、ということはある。この句の場合、前書きなしだとどんな風に受け止められるのだろう。うらうらとした春の昼。しんとした時間が流れている。そこに、ことり、とペンを置く音。下五の連用止めが、この後に続く物語を示唆しているように感じられるのだろうか。ペンを置いたのは、作家大佛次郎。この句の作者、地唄舞の名手であった武原はん(はん女は俳号)の、よき理解者、自称プロデューサーであった。昨年、縁あってはん女の句集をすべて読む機会を得た。句集を年代を追って読んでいくというのは、その人の人生を目の当たりにすることなのだ、とあらためて知ったが、そうして追った俳人はん女の人生は、舞ひとすじに貫かれ、俳句と共にあった。日記のように綴られている句の数々。そんな中、「大佛先生をお偲びして 九句」という前書きがついているうちの最初の一句がこの句である。春昼の明るさが思い出として蘇る時、そこには切なさと共に、今は亡き大切な人への慈しみと感謝の心がしみわたる。〈通夜の座の浮き出て白し庭牡丹〉〈藤散るや人追憶の中にあり〉と読みながら、鼻の奥がつんとし、九句目の〈えごの花散るはすがしき大佛忌〉に、はん女の凛とした生き方をあらためて思った。『はん寿』(1982)所収。(今井肖子)




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