平常通りに復活しました。ほっ。我が阪神の強さも復活。ばんざい。(哲




2008ソスN4ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0642008

 相席に誘はれてゐる新社員

                           中神洋子

いぶん昔の、会社に入った頃のことを思い出しました。就職情報を丹念に調べ、会社の業績や将来性、あるいは社風や社長の理念まで細かく調べ上げても、実際に職場に行ってみなければ、そこがどんな場所なのかということはわかりません。慣れ親しんだ環境から、新しい雰囲気の場所へ移るには、それなりの緊張感が伴います。自分を受け入れてくれるのか。あるいは素直になじむことの出来る空気なのか。そんなことを考えているだけで、緊張感が増してきます。朝早くに初日の出社をし、人事部で大まかな説明を聞き、社員証の写真をとり、所属部署へ案内されても、まだどこかなじめない気持ちを持ち続けています。所属部署に連れて行かれ、一人一人挨拶してまわっても、直属の上司の名前を覚えるのが精一杯です。ほかの社員にはただ頭を下げて、自分の名前と、「よろしくお願いします」を繰り返すだけです。この句は、そんな日の昼食時を詠っているのでしょうか。社員食堂で見よう見まねで食事をトレイに載せ、どこに座ろうかと歩き出したところで、「ここ、どうぞ」とでも言われたのです。テーブルに向かいながら、なんとかここでやっていけるかなと、思いはじめたのでしょう。なんだか句を読んでいるこちらまで、ほっとします。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


April 0542008

 囀や真白き葉書来てゐたる

                           浦川聡子

聞やダイレクトメール、事務連絡の茶封筒などに混ざって、葉書が一枚。白く光沢のある絵はがきの裏、宛名の文字は見慣れた友人のもので、旅先からの便りだろうか。白は、すべての波長の光線を反射することによって見える色というが、人間が色彩を感知するメカニズムについて、今さらのように不思議に思うことがある。数学をやりながら、数式や定理がさまざまな色合いをもって頭の中に浮かぶ、と言う知人がいた。どんな感覚なのか、残念ながら、私は色のついた数式を思い浮かべることはできない。どちらかといえば視覚人間、コンサートに行くより絵画展へ、句作の時もまず色彩へ視線がいくのだけれど。この句の作者は、音楽に造詣が深く、音楽にかかわる秀句が多いことでも知られており、視覚と聴覚がバランスよく句に働いている。メールが通信手段の主流となりつつある中、春風に運ばれてきたような気さえするその葉書に反射する光と、きらきらと降ってくる囀に包まれて、作者の中に新しいメロディーが生まれているのかもしれない。『水の宅急便』(2002)所収。(今井肖子)


April 0442008

 母校の屋根かの巣燕も育ちおらむ

                           寺山修司

らむの「お」は原句のまま。「小学校のオルガンの思い出」の前書がある。破調の独特の言い回しに覚えがあり、どこかで見た文体だと思ったら橋本多佳子の「雀の巣かの紅絲をまじへをらむ」に気づいた。かの、おらむがそのままの上に、雀の代りに燕を用いた。多佳子の句は昭和二十六年刊の『紅絲』所収。修司のこの句は二年後の二十八年。そもそも多佳子が句集の題にしたくらいの句であるから修司が知らないで偶然言い回しが似たということは考えがたい。修司、高校三年生の時の作品である。内容を比べてみると、多佳子の句は、結婚する男女は赤い糸で結ばれているという故事を踏まえ、切れてしまった赤い糸が今雀の巣藁の中に混じっているという発想。巣の中の赤い糸に見る即物の印象から一気に私小説のドラマに跳ぶ。修司の方はきわめて一般的な明解な思い。しかし、母校という言い方にしても、「かの」にしてもこの視点はすでに卒業後何年も経ってのものを演出している。十八歳にしてこの演出力はどうだ。典拠を模倣し、演出し、一般性をにらんで娯楽性を考える。寺山の芝居も映画もこのやり方で多くのファンを掴んだ。「だいだいまったく新しい表現なんてあるのかい」という寺山の声が聞こえてくるようだ。しかし、と僕はいいたいけれど。『寺山修司俳句全集』(1986)所収。(今井 聖)




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