高校野球。決勝進出の聖望学園(埼玉)バッテリーは、なんと幼稚園以来のコンビ。(哲




2008N44句(前日までの二句を含む)

April 0442008

 母校の屋根かの巣燕も育ちおらむ

                           寺山修司

らむの「お」は原句のまま。「小学校のオルガンの思い出」の前書がある。破調の独特の言い回しに覚えがあり、どこかで見た文体だと思ったら橋本多佳子の「雀の巣かの紅絲をまじへをらむ」に気づいた。かの、おらむがそのままの上に、雀の代りに燕を用いた。多佳子の句は昭和二十六年刊の『紅絲』所収。修司のこの句は二年後の二十八年。そもそも多佳子が句集の題にしたくらいの句であるから修司が知らないで偶然言い回しが似たということは考えがたい。修司、高校三年生の時の作品である。内容を比べてみると、多佳子の句は、結婚する男女は赤い糸で結ばれているという故事を踏まえ、切れてしまった赤い糸が今雀の巣藁の中に混じっているという発想。巣の中の赤い糸に見る即物の印象から一気に私小説のドラマに跳ぶ。修司の方はきわめて一般的な明解な思い。しかし、母校という言い方にしても、「かの」にしてもこの視点はすでに卒業後何年も経ってのものを演出している。十八歳にしてこの演出力はどうだ。典拠を模倣し、演出し、一般性をにらんで娯楽性を考える。寺山の芝居も映画もこのやり方で多くのファンを掴んだ。「だいだいまったく新しい表現なんてあるのかい」という寺山の声が聞こえてくるようだ。しかし、と僕はいいたいけれど。『寺山修司俳句全集』(1986)所収。(今井 聖)


April 0342008

 ぶらんこを漕ぐまたひとり敵ふやし

                           谷口智行

を踏ん張って空高くぶらんこを漕ぐのは気持ちいい。耳元を切る風の音。切れんばかりに軋む鎖の音と金臭い匂い。いつもは見上げて話している先生や上級生が足下に見えるのに得意の気分を味わった。今ほど遊具がなかった時代なので休み時間ともなるとぶらんこには順番待ちの長い列が出来た。どれだけ遠く飛び降りで着地できるか、泥まみれの靴を飛ばせるか、ずいぶん乱暴な乗り方もしたものだ。誰しもぶらんこに乗って空に漕ぎ出すときは王様になれる。ぶらんこが春の季語になったのは「のどやかでのびやかな春の遊戯として春の題として定めた」(「日本大歳時記」講談社)ところに本意があるようだが、この句ではそのぶらんこをじりじりと順番待ちをしている羨望と嫉妬のまなざしを思う。まわりの目を気にして二、三度漕いで、すぐ列の後ろにつくような柔な性格なら敵を増やしはしない。回りの反発を意に介さずぶらんこを漕ぎ続ける気の強い漕ぎ手は世間に出ても敵を作りやすい性格なのかもしれない。ぶらんこといえば鷹女の「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」の激しい句を思うが、こちらも恨みを買いそうな句である。『媚薬』(2007)所収。(三宅やよい)


April 0242008

 なにほどの男かおのれ蜆汁

                           富士眞奈美

も蜆汁も春の季語である。冬の寒蜆も夏の土用蜆もあるわけだけれど、春がもっともおいしいとされる。もちろん、ここでは蜆そのものがどうのこうのというわけではない。こういう句に出会うと、大方の女性は溜飲をさげるのかもしれない。いや、男の私が読んでも決して嫌味のない句であり、きっぱりとした気持ちよささえ感じる。下五の「蜆汁」でしっかり受けとめて、上五・中七がストンとおさまり、作者のやりきれない憤懣にユーモラスな響きさえ生まれている。蜆の黒い一粒一粒の小粒できちんとしたかたち、蜆汁のあのおいしさとさりげない庶民性が、沸騰している感情をけなげに受けとめている。ここは気どったお吸い物などはふさわしくない。「なにほど」ではない蜆汁だから生きてくる。同じ春でも、ここはたとえば「若布汁」では締まらないだろう。それどころか、気持ちはさらにわらわらと千々に乱れてしまうことになるかもしれない。眞奈美は女優だが、五つの句会をこなしているほどのベテランである。掲出句は、ある人に悪く言われたことがあって、そのときはびっくりしたが、バカバカしいと考え直して作った句だという。「胸のつかえがすーっとおりて・・・・立ち直れた」と語っている。さもありなん。こんな場合、散文や詩でグダグダ書くよりは、五七五でスイと詠んでしまったほうがふっきれるだろう。そこに俳句のちからがある。吉行和子との共著『東京俳句散歩』もある。ほかに「宵闇の小伝馬町を透かしみる」「流れ星恋は瞬時の愚なりけり」などがある。いずれもオトナの句。「翡翠」14号(2008)所載。(八木忠栄)




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