社保庁労組ヤミ専従、不正給与5億円。専従でないと勤まらないが、でもねえ。(哲




2008ソスN3ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1732008

 軽荷の春旅駄菓子屋で買ふ土地の酒

                           皆川盤水

年の春は、急にやってきたという感じだ。東京は、昨日一昨日といきなり四月並みの陽気。いつものようにコートを着て出かけたら、汗が滲み出てきた。急な春の訪れだけに、なんだかそわそわと落ち着かない。良く言えば、浮き浮き気分である。この句も、まさに浮き浮き気分。「軽荷の春旅」という定型に収まりきれない上五の八音が、浮き浮き気分をよく表している。句集の作品配列から推測して、この句は昭和三十年代のものと思われる。酒を買ったのは「駄菓子屋」とあるが、当時のなんでも屋、よろず屋のような店だったのだろう。現在のようにしかるべき土産物屋に行けば、なんでも土地の名産が揃っているという時代ではない。つまりこの駄菓子屋で買わなかったら、せっかく見つけた土地の酒を買いそびれるかもしれないわけだ。元来、地酒とはそういうものであった。幸いにして、気楽な旅ゆえ手荷物は軽い。味なんぞはわからないが、迷わず一升瓶を買い求めたのである。おそらく、駄菓子屋のおばさんと軽口の一つや二つは交わしただろう。その素朴な気持ちよさ。酒飲みにしかわからない浮き浮きした心持ちが、心地よく伝わってくる。同じ句集に「蚕豆や隣りの酒徒に親近感」もあり、これまた酒飲みの愉しさを印象づけて過不足がない。春風のなか、どこかにぶらりと行ってみたくなった。『積荷』(1964)所収。(清水哲男)


March 1632008

 春昼の角を曲がれば探偵社

                           坂本宮尾

語の春昼は、「しゅんちゅう」と読みます。のんびりした春の昼間の意味ですから、「はるひる」と訓で読んだほうが、雰囲気が出るようにも感じます。しかし、日々の会話の中で、「しゅんちゅう」にしろ「はるひる」にしろ、この言葉を使っているのを聞いたことがありません。俳句独特の言葉なのでしょう。句の意味は明解です。書かれていることのほかに、隠された意味があるわけでもなさそうです。それでもこの句が気になったのは、「角を曲がる」という行為と、「探偵社」の組み合わせが、ノスタルジーを感じさせてくれるからです。先の見えない世界へ体をよじって進んで行く。「角」という言葉には、どこか謎めいていて、心を震わせるものがあります。そんな心の震えの後に、「探偵社」という古風な言い方の建物が出てきます。どことなし、怪しげな雰囲気が感じられます。古びたビルの一角に、昔の映画で見たような探偵が、めったに開くことのない扉を見ながら、ひたすら仕事の依頼を待っているのでしょうか。本来は抜きさしならない状況で、人の行為を密かに調べる職業ではありますが、この言葉にはどこか、ほっとするものを感じます。春の昼、のんびりと角を曲がったわたしは、どこかの探偵にそっとつけられている。と、罪のない想像をしながら、わたしは角を、すばやく曲がるのです。『現代俳句の世界』(1998・集英社) 所載。(松下育男)


March 1532008

 卒業歌ぴたりと止みて後は風

                           岩田由美

代は、中高の卒業式に歌われる歌もさまざま。オリジナル曲を歌う学校もあるというが、私の時代はまず「仰げば尊し」であった。中学三年の時、国語の授業で先生が「お前達今、歌の練習してるだろう。あおげばとおとし、の最後、いまこそわかれめ、って歌詞があるね。わかれめって、分かれ目(と板書)こうだと思ってないか?」え、ちがうの。少なくとも私はそう思っていた。「文法でやったな、係り結び。こそ(係助詞)+め(意志の助動詞、む、の已然形)。今こそ別れよう、いざさらば」という説明を聞きながら、妙に感動した記憶がある。そして三十年近く、仰がれることはなくても卒業式に出席し続けて現在に至る。たいてい式も終盤、ピアノ伴奏に合わせて広い講堂にゆっくりと響く卒業歌。生の音は、空気にふれるとすっと溶ける。歌が終わって少しの間(ま)、そして卒業生退場。その後ろ姿を拍手で見送る時、心の中にあるのは、喜びや悲しみをこえた静けさのようなものである。そして今年もこの季節がめぐってきた。別れて忘れて、また新しい出会いがある。後は風、たった五音が深い余韻となって響く。『俳句歳時記・春』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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