2008N315句(前日までの二句を含む)

March 1532008

 卒業歌ぴたりと止みて後は風

                           岩田由美

代は、中高の卒業式に歌われる歌もさまざま。オリジナル曲を歌う学校もあるというが、私の時代はまず「仰げば尊し」であった。中学三年の時、国語の授業で先生が「お前達今、歌の練習してるだろう。あおげばとおとし、の最後、いまこそわかれめ、って歌詞があるね。わかれめって、分かれ目(と板書)こうだと思ってないか?」え、ちがうの。少なくとも私はそう思っていた。「文法でやったな、係り結び。こそ(係助詞)+め(意志の助動詞、む、の已然形)。今こそ別れよう、いざさらば」という説明を聞きながら、妙に感動した記憶がある。そして三十年近く、仰がれることはなくても卒業式に出席し続けて現在に至る。たいてい式も終盤、ピアノ伴奏に合わせて広い講堂にゆっくりと響く卒業歌。生の音は、空気にふれるとすっと溶ける。歌が終わって少しの間(ま)、そして卒業生退場。その後ろ姿を拍手で見送る時、心の中にあるのは、喜びや悲しみをこえた静けさのようなものである。そして今年もこの季節がめぐってきた。別れて忘れて、また新しい出会いがある。後は風、たった五音が深い余韻となって響く。『俳句歳時記・春』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


March 1432008

 農地改革は暴政なりし蝶白し

                           齋藤美規

正十二年生まれ。昭和十七年から加藤楸邨に師事をした作者が、平成十九年の時点での自選十句の中にこの句を入れている。そのことに僕は作者の俳句に対する態度を感じないわけにはいかない。作者は新潟、糸魚川の地にあって「風土探究」を自己のテーマとして五十六年には現代俳句協会賞を受賞し、俳壇的な評価も確立している。「冬すみれ本流は押す力充ち」「一歩前へ出て雪山をまのあたり」「百年後の見知らぬ男わが田打つ」などの喧伝されている秀句も多い。その中のこの句である。一般的認識では小作解放という「美名」のもとに語られる事柄を、敢えて「暴政」と呼ぶ。敗戦直後占領軍によって為された地主解体による土地の解放政策を何ゆえ作者は否定するのだろうか。調べてみると解放という大義名分の影に、小作に「無償」で譲られた土地が農地として残存せず、宅地に転用され、そこで土地成金を生んだりした例もあるらしい。日本の農業政策の根幹に関わる疑問を、新潟在の作者は自己の問題として提起しているように思う。「風土」とは、田舎の自然を詠むことが中心ではなく、そこで営々と不変の日常を送る自己を肯定達観して詠むことでもなく、社会に眼を開くことを俳句になじまぬこととして切り捨てることでもない。まぎれもない「個」としてそこに在る自己の、憤りや問題意識を詠うこと。その態度こそが「風土」だと、自選十句の「自選」が主張している。『平成秀句選集』(2007)所収。(今井 聖)


March 1332008

 ペリカンのお客もペリカン春の虹

                           寺田良治

リカンの特徴はあの大きな嘴だろう。大きな口は魚を捕らえる網のような役割をするし、すくいとった魚を喉袋に蓄えることもできるらしい。雛たちは大きく口を開けた親ペリカンの嘴の中に頭を突っ込んで餌を食べるというから便利なものだ。山口県宇部市にある「ときわ公園」ではペリカンが放し飼いされており、公園内を自由に闊歩していると聞く。公園内ばかりでなく近くの幼稚園に遊びに出かけるカッタ君という有名ペリカンもいるそうだ。そんな楽しい公園ならペリカンとペリカンがばたっと道で出会ったら、どうぞいらっしゃいと自分の住まいへ招きいれ、まぁおひとつどうぞ、と垂れた下顎から小魚など取り出しそうだ。童話に出てきそうなユーモラスなペリカンの姿がふんわり柔らかな春の虹によくマッチしている。ペリカンが向かい合っている景を切り口に広げられた明るい物語に思わずにっこりしてしまう。多忙な現実に埋没してしまうと物事を一面的に捉えがちだが、作者のように柔軟な頭で角度を変えて見れば何気ない現実から多彩な物語を引き出せるのだろう。「春ずんずん豚は鼻から歩き出す」「まんぼうのうしろ半分春の雲」などうきうきと春の気分を満載した句が素敵だ。『ぷらんくとん』(2001)所収。(三宅やよい)




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